創造原理からみた男女とその関係 | 親と子の訓読家庭教会

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後天時代に於ける子女教育を考える

顕進様が語られた男女の役割についてのお話を紹介します。
 

 

「男性と女性という神様の二性性相」


お父様の最大の洞察の一つは、神様の二性性相を認識されたことでした。歴史を通じて、神様 は男性格で呼ばれていました。しかし、原理講論でお父様は、宇宙を支配する自然法則から導 き出した、神様に対するユニークな観点と理解を提起しておられます。お父様は、最も複雑な存在から原子レベルに至るまで、どこにも陽的(男性的)な力と陰的(女性的)な力の授受の関係があることを認識されました。これはお父様がしばしば言及される相補的ペアシステムの根拠となっています。まさにこれらの陽性(男性)と陰性(女性)の両要素の合体を通じて、被造物が存在することができ、生命が存在することができます。天の父を完全に代表することができるのも、これらの要素の完璧な組み合わせによるものです。ここから真の父母という概念が出てきます。


「人類における最も重要な関係」


人類における最も重要な人間関係は、男性と女性という関係です。皆さんは家庭について話す時、 まず男性と女性の役割を明確にするところから始めます。なぜなら、男性と女性は正しく和合 することにより創造の行為に参加するようになっているからです。

神様の本質は真の愛です。したがって、皆さんが被造物を見ると、それは相互依存と共存の法 則、特に陽性と陰性すなわち男性と女性の間の相互依存と共存の法則に基づいています。した がって、家族の正しい役割、関係、責任を設定するには、まず男性と女性の関係が正しいもの でなければなりません。そうでなければ、常に問題が生じ、理想的な家庭について口にするこ とさえできなくなるでしょう。

創世記の物語は、男性と女性の関係について説明し、本来の理想的なモデルがどのようなもの だったかについて明言しています。その関係が、歴史の初めに人間の堕落により汚されてしまったのです。堕落が起こった時、アダムは天の父を捨てて、エバに従いました。神様がアダムに与えた権威が、サタンがエバに吹き込んだ偽りの言葉により支配を受けるようになった時、主管性の転倒が起こりました。そうして、アダムとエバは、真の愛により神様を中心とする四 位基台を構築するのではなく、逆にサタンを中心とした偽りの愛の四位基台を構築したのです。

最初の家庭に存在した男性と女性の関係における機能不全が、私たちの堕落した状態の根本を なすようになりました。彼らの子供たちが最終的に自分たちを破壊するところまでいってしまったのは、アダムとエバの合体が、偽りの愛、偽りの生命、そして偽の血統に根ざしていたからです。それは本来の創造目的に沿ったものではありませんでした。

これがメシヤが必要とされるようになった理由です。メシヤの使命に関する原理における観点は、人類家庭に対する本来の理想にまで遡ります。メシヤの使命は、親と子の関係、そして男 性と女性の関係における人間と神様との間の正しい関係を確立することです。父と母の役割と責任はそれほど重要なのです。ですから私は、歴史的な男性だけでなく、歴史的な女性としての正しい先例を立てることの重要性について話します。特に、再臨の時には、真の女性としての先例を立てる女性がいなければなりません。

アメリカにおける 1960 年代の社会革命の時、特にフェミニズムの高まりにより何が起こりまし たか。フェミニスト革命の最大の結果は、それが家庭に対して与えた直接的な影響でした。そこで強調されたことは、人間の価値は、より高い霊的な本質に根ざしているのではなく、どんな仕事につき、どれだけのお金を稼ぎ、社会的にどんな職種や地位を持っているかにより決まるというものでした。その結果、家庭というものの価値がないがしろにされるようになりました。

これら全てのものは、女性を、女性だけでなく男性にとっても最も重要なもの、すなわち 家庭から遠ざけました。家族のアンカー(いかり)である母親そして妻が、自分のキャリアのために家族を捨てたのです。こういう母親と父親が、子供のためのそのような先例を立ててしまうことになります。引き続いて、男性と女性の役割についての明確さが欠如していたために、 様々な逸脱行動が増加し、今ではそれが社会的通例となっています。

人間社会に見られる問題は、特に男性と女性の役割という点で、本来の創造目的から外れたと ころから始まりました。全ての被造物はその本来の目的に沿って存在しています。そのようにして彼らは共存し、永遠の価値に従って生きています。こういうあらゆる問題が起こっているのは人類の中だけです。たとえこの社会で男性はこうあるべきであり女性はこうあるべきだと言われたとしても、皆さんはその観点に従うべきでしょうか、それとも本来の創造目的に従うべきでしょうか。