アベル・カインの法則は絶対か?(2) | 親と子の訓読家庭教会

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後天時代に於ける子女教育を考える

復帰摂理歴史においては、カインが失敗するのは勿論ですが、アベル側の中心人物が、責任分担を果しえず、失敗してしまった事実も沢山あります。 そしてその結果、摂理が延長したり、アベル側の中心人物が神の摂理の中心から外されてしまったり、更には別の中心人物が選ばれるという事も何度も起きています。 その様に見てきますと、アベル・カインというのは多分に相対的であって、絶対的なものではないという事実と、責任分担の遂行次第でアベルの立場も変ってしまうという事が解ります。


それでは、私達食口は、私達の教会組織とその活動において、アベルも失敗することの可能性をどの様にとらえていけば良いのでしょうか?  一般には「アベルのことを心配するより、私はカインとして自分自身の責任分担を果たす為に、言われる通りに従うしかない」とか「リーダーが成功するか失敗するかは私の責任ではないので、私はカインとしての責任分担を全うするしかない」といってカインとして従うだけの責任分担に集中している人が多いのではないでしょうか。

その考えや基本的信仰姿勢自体は決して間違ってはいません。 しかし、摂理歴史を調べてみると神側の中心人物が失敗した時は、その中心人物と共にその時の組織、民族、国家、文化も一緒に摂理の中心から外れてしまった事も多いのです。 そのことから見ると、メンバー達はただ単純にカインとしての責任分担を果たすつもりで、リーダーの言う事だけを盲目的に従って行っても、必ずしも神側の摂理に付いて行けるとは限らないという事になってきます。 又我々は、連帯罪と言って組織、民族、国家の失敗を一緒に背負う罪がある事も学びました。


そこで、神様と御父母様に対する「絶対服従」と、自分自身に対する「責任分担」という事の本当の意味を考えてみたいと思います。 私は、後天時代において「服従」というのは、ただ単純に御父母様が作った組織の指示に従うというだけでなく、もっと具体的に御父母様の教えに絶対的に従って、日々実践訓練するという事でもあると思います。 例を挙げるならば、私達が家庭盟誓や訓読会、良心を中心とする「正午定着」の生活、家庭教会や氏族メシア等の摂理を、日々真剣に取り組む事も大事な「絶対服従」の基準になって来るのです。 そして、そういった原理的生活を実践していく事こそが、私たち全ての祝福中心家庭に与えられた最も基本的で大切な「責任分担」ではないでしょうか。


逆に言うと、私達がいくら組織の指示に従っていても、御父母様が何度も何度も言っておられる様な、具体的天一国建設の為の日々の生活を始めない限りだめだという事です。 組織の指示に従う事も難しいかもしれませんが、具体的天一国建設の為の信仰生活を家族で続け、そして成功する事はもっと難しいと思われます。 しかしそれをしなければ、私達の信仰生活と組織はどんどんと形骸化していき、神様から授かった大切な祝福子女を正しく教育し、子孫を通して神の血統圏と心情文化世界を展開していくという事も難しくなるでしょう。


そして私は、正しい原理的生活を日々真剣に実践している食口や家庭は、たとえ外的、組織的な困難の中にあったとしても、我々が良心の声に従って決断と行動するならば、必ず神様によって正しい方向に導かれていく事を信じています。 更にこれらからは、御父母様から頂いた教えを実際に家族で実践し勝利した者が、小メシア的理想家庭として、地域の人々を指導していく様な、本当の定着時代が始まっていくのではないでしょうか。