3. 神の意思を尋ね求める指導 | 親と子の訓読家庭教会

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後天時代に於ける子女教育を考える

神の意思を尋ね求める指導

さて、前項の様な生活を続けていくと、「神」の存在に確信のない子でも、原理の真理性、霊界の存在性、そして「神」の実在性に目覚めてきます。時には、その「神」は彼らを嫌っているがごとく挑戦して来るかも知れませんが、その限界を乗り超えた時には奇跡の如く恵みが与えられ、その方は愛の方である事が解り始めるのです。つまり、これが「価値観」が「人生観」になり、更に「神観」に発展していく過程です。

以上の様な信仰指導を通過して、最終的に子供達が生活のなかで生きて働く「神」をいつも意識し、その「神」の意思を尋ね求める習慣を身に着けながら、更には「神」の心情を深く知る様になっていくはずです。そしてこれこそが本来の祝福子女の基準であり、私達指導者も親達も一緒になって勝利していくべく、「報告生活」であり「正午定着」の生活ではないでしょうか。

神中心の生活とはなにか?

この様な教育指導は別段新しいものではないという方もいることでしょう。これらは、伝統的に(特に日本で)やってきた前線活動や教会生活での教育指導とよく似ています。勿論、同じ原理から来るものである限り似るのは当たり前です。しかしその違いの一つを挙げれば、教育指導内容の優先順序の違いではないでしょうか。例えば、祝福子女を指導する場合は、我々の時と違って、外的実績よりも内的実績を、アベルと一体化するよりも「神」と一体化することを、更にカインを愛するよりもむしろ自分を愛することを教えます。そして最も大切なことは、前述のように、全て「神」と共にやって行く事を指導する為に、活動と生活においていつも「神の存在を意識する」事から始めさせるのです。

私達親はは神を中心とする事は、御旨を中心とする事、組織を中心とする事、アベルを中心とする事、期待された実績を出す事等の様に思ってきたところがあります。それ自体は決して間違ってはいません。しかしながら、その様な指導は後からやることにして、それよりも先ず子供達に「神を意識する」ことを優先して教えます。そして、彼らが「神」との個人的関係を結んで行く中で、少しずつ摂理や組織とのアライメントの重要さを教えて行きます。