「関心領域」 監督ジョナサン・グレイザー
前回のブログを書き上げてから30分ほどラヤヨガメディテーションを練習して、外へ出てこの映画を観に行った。
場所はアップリンク吉祥寺。
仕事以外ではほとんど吉祥寺から出ようとしない。
(笑)
主人公はナチスのアウシュビッツ収容所の所長であったルドルフヘス。
その妻も主人公といっていいか。
収容所の隣の広い庭を持つとても瀟洒な家にルドルフヘスとその家族は住んでいる。
その生活を描いているだけの映画だといっていい。
その妻に言わせると「17才のときからあこがれ続けた生活、いやそれ以上な暮らし」をしている。
たぶんあれは当時のヨーロッパ人の理想のような生活なんだろう。
もちろんその隣にはアウシュビッツ収容所があり、虐殺と焼却が行われ続けている。
ときどき悲鳴や銃声が聞こえてくる。
美しい庭の背後にある建物の煙突から、煙が吹き上がり続けている光景は不気味だ。
転勤を命じられたとき、妻はその生活を手放すことを猛然と拒否し、亭主を単身赴任させる。
映画のタイトルの関心領域とは、自分の家と家族にのことしか目に入らず、その隣で起きていることに無関心になっているということを指す。
妻の母がこの家を訪ねてくるシーンがある。
初めはその家や庭をほめたたえるのだけど、広い寝室から夜に外を眺め、煙突から吹き上がる煙の意味を知ったとき、この母は無言でここを去る。
朝いなくなった母を探すが、そこで一枚のメッセージをみつけて読んだあと、その紙片はすぐ処分される。
その内容は劇中で公開されることはない。
あるときお手伝いさんの女性に向かってこの妻は言う。
「主人があなたを灰にして撒き散らかすわよ」
しかし人間とはこういうもんだろうなと思う。
この映画を観れば誰しもそう思うんじゃないか。
私のクラスに来る仏教徒の関心領域はあくまで仏教だ。
彼らはこのヨガには何の興味も持っていない。
始めから無理がある。
チャクラチャクラと言いながらやってくるスピリチュアル大好きさんたちにとっては、自分たちの知っているチャクラこそがその関心領域だ。
チャクラがどのようにアプローチし、本来どのようなものであるかなど関心のはるか外の話だ。
途中でモノクロの映像が差し込まれるシーンがあるのだけど、いまひとつ私には意味不明だった。
配信になったらもう一回観ようか。
鑑賞中なぜか私は落ち着かなくて、頻繁に足を組み替えたり脇の下を搔いたりしていた。
ご興味のお有りの方はどうぞ。
誰にでも勧められるという映画ではない。