少々遠方の方からメールをいただいた。
返事は出したのだけど、それとは別にこのヨガにおける私の考える上達のステップというものについて記しておきたい。
参考までに。
まずは体を作るということ目指さなければならない。
私の言葉でひとことで言えば、下腹部を締めてみぞおちを緩める。
この達成のためには一定レベルでの脊柱と胸郭の柔軟さは要求される。
これは決してアクロバティックな柔軟さではない。
誰でもできると思ってもらって差し支えない。
加えて骨盤の安定を手に入れるために大臀筋と大腰筋、腰方形筋の使用度を上げる。
筋の強化や肥大化ではなく、使えていない筋肉を使う努力をする。
ドーム状でドーナツ形の横隔膜の脊柱寄りの部分の緊張を取る。
肩関節、上肢帯の強化も必要になる。
この辺りができてくると、
「下腹部を締めてみぞおちを緩める」
が、わかるようになると思う。
すると下腹部で呼吸をコントロールすること、延いては丹田の存在に理解が届くと思う。
さらにはウディアナバンダが理解され、ほぼ同時にキルタンクリヤで眼球が動き出すのが理解できると思う。
アジュニーチャクラの理解には眼球のコントロールが必要なのだと度々言っているけれど、その意味をここで解すると思う。
概ね私のクラスでは週1回で1年あればここには至る。
残念ながら肉体的なまたは精神的(これまでのところ取り組み方)な問題で、ここに至らない方もおられる。
以前はよくいらついていたのだけど、今では上達にも必然というものがるのだろうと考えている。
また肉体的にはそこに至っていても、そこに何の意味も価値も見出さない方もいる。
こういう人たちは私が思うに言葉の人たちだ。
身体的な経験では学ばず、言葉でのみ学ぶ。
こういう人たちのためにジュニーニャヨガなんていうものがあるんじゃないかと思う。
また人生におけるタイミングというものもあるのだろう。
ここで知っておいて欲しいのは、
私たちのヨガにおける根幹技法はサットクリヤとキルタンクリヤだということ。
火の呼吸ではない。
あれは重要な補助技法だといっていい。
そして100種類を超える瞑想の中で重要なのは、キルタンクリヤとロングチャントとラヤヨガメディテーションだということ。
次のステップにおいてはキルタンクリヤを達成していただきたい。
キルタンクリヤは本当に習得すると、頭の中が後方に回るようにして動き出し、頭部の位置が胴体に対して後上方に引き上がる。
かなりあごを引いた姿勢が通常のものとなる。
外側から顎を引いて作るのではない。
頭の内側から作り上げるのだ。
私はこれを練習を始めてから半年で理解した。
その頃は始めに教えてくれていた人物ともまだ交流があったので、話そうとしてみたが彼がわかってはいないということがすぐに理解できたので話すのを止めた。
後にティーチャートレーニングに参加したとき知ったけど、誰もわかってはいなかった。
ティーチャートレーニングの担当指導者にこういうことがおきたと話したら、その白人の女性は「あなた、起きたの!」という顔をして大変おどろかれた。
実際これを達成している人間に会ったことはまだない。
こういうことが起きるらしいということをうっすらと知っていた人間はいた。
その人物が空想で「エネルギーがぐるぐるーっぶわーっ」とかいうのを聞いたときは顔を覆って泣きたくなった。
だがほとんどの練習者は全く知らない。
だからキルタンクリヤなど、ただの奇妙な瞑想に過ぎなくなる。
そして技術がわからなくなったときに忍び込むのは人間関係だ。
ばかばかしい。
なぜこんな姿勢になってしまうのかは長年疑問だったけど、今ははっきりわかる。
それは頭上に抜くためだ。
上がってきた「気」はある者はみぞおちの裏で止まり、ある者は首の付け根で止まる。
しかしそれらを超えて頭の中に入ってきたとき、これは頭上に抜く力を持っているのは絶対だ。
そのためにはこの姿勢とバンダが必要になる。
頭上に抜くことができずに頭蓋内(ブラフマランドラ)に入ってきて、さらに蓄積されてしまうとどうなるのか?
少々恐ろしいものを感じる。
クンダリーニエネルギーが危険と称されるのはおそらくこういうことだろう。
であるわけだからキルタンクリヤを絶対に突破すること。
絶対に!
ロングチャントつまりチャクラ瞑想を解いたのは4年目だったか。
ティーチャートレーニングを修了させて、ぼちぼち本気でいくか!みたいなノリだった。
(笑)
チャクラは閉じたり開いたりせず、その語源通り丸く現れる。
私の場合はそのときに身体の消失感を伴った。
そこから私が得たものは、人が自分だと思っているものとは記憶や感情や思考なのだけれど、それは存在しているということとは別なのだということだった。
そしてチャクラ瞑想とは点への気の集中だと思っていただきたい。
余談だけど火の呼吸の名称を世に知らしめた小山一夫師やハタヨガの成瀬雅春師も、チャクラは丸く現れるのであって開くということはないと著作の中でおっしゃっておられる。
多勢に無勢もいいところだけれど。
ラヤヨガメディテーションにおいて答えの領域に突入したのは去年のことだから16年目だ。
随分時間がかかった。
その理由は簡単で、正しいラヤヨガメディテーションの形がわからなかったから。
初めにならったラヤヨガメディテーションはかなり正しいものだと思われるけれど、やはりまちがっていたということと、ティーチャートレーニングで習ったラヤはおそらくは抜かれていると思われるということ。
この二つを組み合わせ、既知である丹田やチャクラ、脊椎の構造と組み合わせつつ、私なんぞより感覚の鋭い生徒さんの力も借りながら、なんとか今練習している形のラヤヨガメディテーションを組み立てた。
この「間違ったものを指導者もなしになんとかかんとか修正してものにしてみせる」というのは、凡庸な私に天が送ってくれた唯一の天分らしい。
もっとわかりやすい才能が欲しかった。(笑)
始めから今の形のラヤヨガメディテーションを練習していれば絶対に10年はかからなかった。
5年か6年、遅くとも8年あれば今の領域にはこれたと思う。
このブログで最近書き続けている、人間にとって真の幸福や自由ということは、この瞑想で知った。
付記しておくと私がクンダリーニヨガの練習を始めたのは、柳生心眼流の稽古を始めて17年目のことだった。
その下地があったからこそ、このヨガと心眼流の身体観が似ているということに気付けた。
実際に指導していて明らかに潰しが効いていると思われたのは、長年太極拳の練習をしている方だったり、フラダンスの練習をしている方だったり、チベット仏教を学んでいる方だったりしている。
伝統武術や古典舞踊に身体のコントロール方法が近い。
チベット仏教のことはよく知らないけれど、ラージャヨガの色を含んでいると思われるがどうだろう。
以上、同じ道を歩んでくださる方、歓迎いたします。