一般にクンダリーニエネルギーは危険だと評される。

有名なところではゴービ クリシュナ著「クンダリニー」という著作がある。

一読すればわかるけれど、はっきりいって悲惨だ。

私はあんな目に会うのはごめん被る。

このヨガのクラスを始めた当初、このクンダリーニエネルギーの暴走してしまった方が訪れてくれたことがある。

正直に言って聞きしに勝る悲惨だった。

わずか10分のトラタク瞑想を30日重ねただけで悲劇が起きた。

頭上からワインのコルク抜きで頭頂部に穴を開けられたような感触が走り、「エネルギー」が噴出した。

あなたの言うエネルギーを他の言葉に置き換えればなんだろうという私の問いに対して、彼は「電気」と即答した。

先天の気というやつは本当に存在するらしい。

彼のその後の状況は、詳細は省くが悲惨のひとことだった。

私と話している間もエネルギーは彼の視界を上下に激しく動いていたらしい。

見た目が普通なだけになお悲惨だ。

「もう元には戻れないのか」

という彼の呻きは絶望的だった。

そのときも正直大変申し訳ないけど、こんな目には会いたくないと思った。

私はエネルギーエネルギーと大はしゃぎするスピリチュアル大好きさんが吐き気がするほど嫌いだけど、それは彼の苦悩する様を目に焼き付けているというのもある。

 

 

ヨギバジャン師はクンダリーニは危険ではないのかという問いに対し、自分の中のエネルギーを使うことの何が危険なのか?と一蹴している。

どういうことなのかと思っていたけれど、今はなんとなくわかる。

前回のブログで書いたようなステップをキチンと踏んでいくならば、危険などないということだと思う。

先述の暴走してしまった彼は、そのときに下腹部がぱんぱんにふくらむような感じがしたのだとか。

それがリアルに下腹部がふくらんでいたのか、その膨張が脳内の現象なのかはわからない。

しかし私のクラスで下腹部と横隔膜深部の連動を知るものなら、つまり丹田がわかっているならそれを押しとどめることがでるというのは察しがつくと思う。

さらに頭頂部サハスラーラチャクラから抜くということがわかっていれば対応はできる。

ヨギバジャン師が言った何が危険なのかとはこういうことだと思う。

またヨギバジャン師はボディドロップを禁じた。

床に尾骨を叩きつけるというテクニックだ。

賢明だと思う。

手技療法を勉強していた頃、体育の授業で陸上競技のハードルのジャンプに失敗し、股からハードルの上に落ちてしまった生徒がいたという話を聞いたことがある。

聞いているだけで痛々しい。

その生徒は尾骨を骨折した。

尾骨は硬膜で脳とつながる。

物静かだったこの生徒はだんだんと性格が変わっていき、やがて発狂した。

尾骨を床に叩きつけるなんてとんでもない話だ。

それに尾骨をコントロールしたいということなら、ムルバンダで時間をかけて練習すればことは足る。

さらにバジャン師はヘッドスタンディングも禁じた。

ショルダースタンドで効果は出せると。

確かにあれは首の細い女性に強要するのは危険だ。

生涯苦しむ障害を残すことになりかねない。

私自身はショルダースタンドもいらないと思っている。

私たちのヨガにはフロッグポーズというしゃがんだ状態から床に手をついて尻を上げ下げするというスクワットがある。

あれで充分だ。

おまけに足腰も鍛えられる。

 

 

もちろん私のクラスにおいてクンダリーニエネルギーの暴走が起きたなどということは一切ない。

そもそもクンダリーニエネルギーの上昇などクラスで要求したことはない。

私が要求するのは、火の呼吸を使ったエクササイズであり、サットクリヤであり、キルタンクリヤだ。

なんとか頑張ってキルタンクリヤをものにしてくれと言っている。

つまりこのヨガの正統なステップを確実に登ろうということだ。

 

 

なのに私のクラスでクンダリーニエネルギーの暴走でおかしくなっている人間が続出しているかのような物言いをしている人間がいるらしい。

誹謗中傷も甚だしい。

 

 

誰が言っているのかも察しはつく。

社会にでていればわかることで、この世の中には自分の仕事の達成や成功や成就よりも、他人の失敗の方が嬉しいらしい人間というのがたくさんいることは知っている。

他人の人間関係すら悪知恵を働かして壊したいらしい。

おそらくはそういう生活や価値観が嫌になって、ヨガだの瞑想だの仏道だのに首を突っ込んできたのだろうけど、結局そういうものの考え方しかできないか。

悲しくもあり哀れでもある。

 

ちなみに私は大病を患ってがちがちになったあんたのかみさんの胸郭をなんとかしたいと考えて続けていたつもりなんだがな。

 

愚かしい。

 

以上絶縁の儀。

 

クンダリーニヨガ吉祥寺