金をだして買ってまでマンガを読んだりはしない。
そんなわけでマンガについて語る資格など全くないというのは重々承知しているのだけど、私の目にはマンガというのは、主人公の前に強敵が現れてその強敵をまず倒し、その次にもっと強い敵が現れてこれをなんとか倒し、するとお姫様が現れて恋に落ちたりするのだけど、そのお姫様が次の強敵にさらわれたりして、その強敵を新たな必殺技で倒したりする。
そんな感じが延々と続く世界に思える。
つまり常にドラマがあり、何かが起き、変化がある。
マンガがそういうものだとして不都合は一切ないと思うけど、問題はこういう感覚でクンダリーニヨガや武術をとらえたがる人間がいるということだ。
来るたびに喜色満面になってここが動いたとか、体幹がどうしたとか、気が、プラーナが、エネルギーが、とはしゃぎ続ける。
確かに初めの頃はいろいろな変化におこることもある。
日常にないものだらけだから、それは当然といえば当然のことである。
しかしある程度やるとそういう変化はなくなって当然で、するとこういう人達はおもしろくないと呟いて消えてゆく。
何の変化もないまま同じことを繰り返し続ける。
そこにドラマなど一切ない。
しかしある日、その繰り返しの答えが自分の中から立ち上がる。
たぶんそれは繰り返される日々の中で無自覚で無意識な部分に積み上げられたものが、突然に意識の表面に現れるのだろう。
無意識に膨大な根を張ったその出現は、肉体的なものであれ精神的なものであれ確信になる。
確信などと呼べるものはそうはたくさんはないから、指導者としての私は毎回同じことを言うことになる。
私は毎回のように、尻を締める、下腹部を締める、みぞおちを緩める、あごをひく、と言い続けている。
現実は当然ではあるがマンガではない。
現実はそういうものなのだ。