立川武蔵という人の書いた、
「ヨーガの哲学」
「はじめてのインド哲学」
「日本仏教の思想」
の3冊の本を最近読んだ。
インド哲学が専門の偉い学者さんらしいのだけど、どの本もとても読みやすい。
特に「ヨーガの哲学」はヨガを実践する人には勧める。
私のような哲学の素地のない人間にも読めるように書けるというのは、高く広い専門性を持った人物だということだろう。
誰にでもわかる言葉で専門性の高いことを伝えることができるというのは、質の高さの証しだと思う。
ダメな専門家というのは専門用語の中にすぐにに逃げ込む。
しばらくはこの人の著作を探して読み続けることになると思う。
三島由紀夫が自決した翌日、朝日新聞に司馬遼太郎が寄稿した文章がある。
その内容は、思想とはそれ自体で結実した結晶であって現実とは関係ないのだ、というものだった・・・と記憶している。
私にはその意味が長い間さっぱりわからなかった。
思想とは現実を牽引するものであって、何らかの主義主張を持つ人間が現実を自ずからの思想の方に引き寄せようとするのは当然のことだと思っていた。
それがどういう結果を招いたにせよだ。
それが年のせいなのかヘボいながらも経験を積んできたということなのか、司馬遼太郎の言うことが少しわかってきた気がする。
現実には現実を支配するルールがあって、思想とは係わり合いなどなくてもいいのだ・・・と。
それをリアリズムというのだろう。
ヨガを実践するにあたってその背後にそびえる、インド哲学やその思想を無視することはできない。
しかしそのこととその思想を生きることはまた別だ。
思想は思想として尊重しつつ、現実を別のルールで生きるというのは非凡で大切なことなのだ。