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先日、母が婦人会の旅行で静岡県の浜松市で開催されている『浜名湖花博2024』へ行ってきて「いやーお花が綺麗だった!」と興奮気味に語ってくれました。

 

その際、帰路のSAで休憩を取った様なのですが、一人の御婦人が出発予定時間になってもなかなか帰ってこず、やきもきする事態になったそうで・・、その後その御婦人は出発予定時刻を15分も遅れてやってきてのですが、遅れてきた事に大して謝りもせず堂々と着席したそうで。皆その態度に呆れて物が言えなかったそう。

 

偶にいますよね、集合時間に遅れて来ても平気な人。そういう人って注意をしても直らない・・

 

何なんでしょうね?

閑話休題

 

はいそれでは本の紹介へと参りましょう。

 

本日紹介する作品は、赤神諒さんの時代小説『誾(ぎん)』です。

 

いつも通りあらすじ紹介から参りますのでよろしくお願いします。

 

 

 

 

【あらすじ】

時は室町戦国時代、西国大名大友宗麟の重臣戸次道雪のひとり娘誾千代は幼い頃から男勝りで女武道。わずか七歳にして父親から城をもらい城主となるほど。目指すは日ノ本最強の女武将だったが、父の同僚の高橋紹運の息子で幼馴染の統虎に懇願され、妻として生きる覚悟を決める。戸次の家に婿養子として入り家を継いだ統虎だったが二人の間には子が出来ず世間は二人の不仲を噂する。実は統虎は、愛しても無駄だと知りながら、それでも妻をひたむきに愛し、誾千代も必死にそれに応えようとしていたのだったが・・

 

【解説】

 

①本書の著者は赤神諒さん

 

本書の著者は赤神諒(あかがみりょう)さん。1972年京都府生まれの52歳

同志社高校から同志社大学文学部英文科に進み、大学3年時司法試験に合格。

東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。カリフォルニア大学バークレー校に留学、上智大学大学院法学研究科博士後期課程(環境法専攻)単位取得退学

2006年上智大学博士の学位を得る。

2017年、『大友二階崩れ』にて第9回日経小説大賞受賞。小説家デビュー。

2023年、『はぐれ鴉』で第25回大藪春彦賞受賞。

 

すごいインテリさんですね。主に時代小説やエッセイを発表する作家さんです。

 

代表作

・大友二階崩れ

・猛き名をとどめん

・丹生島城の聖将

・醉象の流儀 朝倉盛衰記

・空貝 村上水軍の神姫

・はぐれ鴉

 

②本作主人公の立花誾千代ってどんな人?

 

立花誾千代は、室町戦国時代、九州の豊後備前筑後の三カ国を治めた有力大名大友宗麟の有力家臣である戸次道雪(立花道雪)の一人娘。夫は高橋紹運の息子立花宗茂。

 

幼き時より聡明でわずか7歳にして父道雪より立花城を与えられた(城督就任)

天正十年、父道雪の同僚で大友家重臣高橋紹運の嫡男宗茂を婿に迎える。

 

男勝りの姫武者。夫宗茂が戦に出兵で留守の間に敵軍が攻め寄せてきた際自ら少ない手勢を率いて敵勢力を退けたというエピソードがあります。

 

ただ夫との間に子ができなかった。豊臣秀吉配下の武将として活躍した夫宗茂が関ヶ原の戦いで敗れ(夫宗茂は近江大津城攻めで戦果をあげていた)浪人して京に向かった後も肥後国玉名郡で別居。

慶長七年、病の為病死。

 

 

③立花誾千代の夫、立花宗茂ってどんな人?

 

立花宗茂は、西国大名大友宗麟の重臣高橋紹運の嫡男。同じく大友氏重臣の立花道雪の婿養子。立花誾千代の夫。

 

西国大名大友宗麟の重臣高橋紹運の嫡男として生まれ武勇に優れた侍に育つ。父高橋紹運の同僚で重臣の立花(戸次)道雪に男子がいなかった事から、婿養子にと懇願され立花家の婿養子となり立花誾千代と結婚。立花家を継ぐ。

 

その後数々の戦で武名をあげ大友氏に立花宗茂ありと名をあげる。

 

豊臣秀吉の九州平定で秀吉についた大友軍の一翼として活躍秀吉に「その忠義も武勇も九州随一である(原文:その忠義、鎮西一。その剛勇、また鎮西一。九州の逸物」と高く評価された。

 

その後秀吉から筑後柳川八万石を与えられて大友氏から独立!秀吉の直臣になる。

その後も豊臣家直臣として数々の戦(小田原征伐、朝鮮出兵)で功を上げ続ける

 

秀吉亡き後も豊臣家直臣を貫き関ヶ原の戦いの前に徳川家康に誘われるも断り西軍の武将として大津城攻めで活躍するも、関ヶ原の戦いは西軍の敗北に終わり筑後柳川の地は接収され浪人になる。

 

浪人となった宗茂は彼を慕う配下の者と京都に住まい猟官運動に励むも徳川家に配慮した大名は雇う者無しで長い浪人生活を送る。

 

慶長七年、別居していた妻誾千代を病で失う。

 

慶長八年、徳川家重臣本多忠勝の進めで猟官運動の為、江戸に上がる。

慶長九年、本多忠勝の推挙を得て江戸城に召し上げられ徳川家康から幕府の御書院番頭(将軍の親衛隊長)として5,000石を給されることになり、その後徳川秀忠の御伽衆に抜擢され陸奥国棚倉一万石を与えられ大名に返り咲く(慶長15年に更に陸奥赤館・上総山辺郡2万石の加増を受けて最終的に3万石の領地高に)

慶長十九年の大阪冬の陣では、秀忠軍の軍師参謀を兼ね警固を担当し功を上げる。

その後も功績を上げ続け秀忠に信頼された宗茂は元和六年、幕府から旧領の筑後柳川10万9200石を与えられ、関ヶ原に西軍として参戦し一度改易されてから旧領に復帰を果たした、唯一の大名となった。

以後も徳川家の重臣(相伴衆)として重用され様々な行事に随行。

寛永十五年は前年に起きた島原の乱に出陣。総大将の補佐役として軍事進言や兵糧攻めの戦略面の指揮を執り活躍。同年家督を養子の忠茂に譲り致仕。

寛永十九年死去。

武勇に優れ義理堅く誠実な武将として敵味方多くに称賛され、豊臣家、徳川家で重用された武将です。

 

【感想】

 

立花宗茂とその正室誾千代について世間での認知度はさほど高くありませんが、歴史好きな方、特に室町時代好き(戦国時代好き)な方には良く知られた存在です。

 

数年前にNHKで宗茂や誾千代が取り上げられた事で多少認知度は上がってきましたが一般的にはまだでしょう。

 

そんな二人の逸話も聞けば歴史好きのみならず歴史にさほど興味を持っていなかった人でも心浮き立つでしょう。

 

夫の立花宗茂は、武勇に優れ義理堅く誠実だということで味方のみならず敵方からも褒められる勇士で、豊臣秀吉、徳川家康・秀忠に重用された程。

 

そして宗茂正室の誾千代は、これまた武勇に優れ、夫の居ない領地に敵方が攻めてきた時も自ら馬を駆って少数の兵力で敵方を退けるといった男勝りの女武者でした。

 

そんな二人の仲も良かったようですが子に恵まれず、関ヶ原の戦い以後、宗茂が浪人になり京都江戸で猟官運動する間は別居生活。夫宗茂の猟官運動も長く続き二人の別居生活は長期化。そして夫が徳川家に召し上げられる前に誾千代は病の末亡くなりました。

 

そして夫宗茂の記録は比較的在るものの、正室の誾千代の記録は少なく、そこが誾千代を主人公にした物語を造る時、著者の持ち味として出るのですが、本作の著者赤神諒さんは、昨今世間で話題となっていることを大胆に物語の中に組み込れてきました。

 

そこは詳しく説明するとおもしろくないので伏せさせて頂きますが、主人公の誾千代と宗茂の間に何故子供が出来なかったのか?二人の別居の真相は?という疑問の解決をかなり大胆に物語にしてきていて驚きました。

 

このことで誾千代を語る物語が数あれど、本作がかなりドラマチックで印象的になっていることは確かです。

 

そして二人の間に横たわる事情に苦しむ二人が切ない・・

 

それにしても昨今話題となっているあの問題を歴史時代小説に組み込んでくる著者のアイデアには本当に感心しました。いやーおもしろい。

 

ということで本作はお薦め!何処かでこの本を見かけたら是非手に取ってみてください。

 

ではこれで本日はここまで!じゃあまたね!

 

 

 

 

 
 

※当ブログ記事にはcoconakoさん、ぼんぼんさんのイラスト素材がイラストACを通じて提供されています。