皆さんこんにちは、ブログ主です。

 

暑い日が続いていますがお身体の方はいかがでしょうか。

 

このブログが投稿されている時は、お盆休みの真っ只中。

皆さんはどう過ごしているんでしょうか?

 

実は自分の住む所では7月お盆なので仏様をお迎えするのも済んでいて、この8月の連休は本当にお休みということで、コロナも猛威を奮っている中なんでお家に引き篭もり中。

 

まあそんな中お盆時期なんでつらつらと仏事について考えていたんですけれど、

 

「コロナウイルスの蔓延により仏事に関わる事が様変わりした」って事に思いを馳せてしまいました。

 

自分の住む所は仏事に関して割と熱心というか、お金を使うというか、派手に行う傾向にあったのですがコロナウイルスの蔓延以降それががらりと変わり質素になったんです。

 

例えば、ある家で誰かがお亡くなりになると通夜やお葬式もかなりお金を掛けて行い地域の方もあまり付き合いが無い家でも一応千円位の香典片手にお焼香にいくのは当たり前、自宅又は葬祭場には親族兄弟からの花輪(葬儀・葬式用供花)スタンド花がずらりという風景が当たり前でした。

 

それがコロナウイルスが蔓延して以降、コロナウイルスのクラスターを気にして、ごく親しい近親者や親族のみで通夜や葬儀を行いご近所さんや友人、会社の同僚などのお焼香はご遠慮願うのがスタンダードになってきたんです。

 

当然葬儀社の葬祭場の大きな部屋も借りられる事も減り、家族葬用の小さな部屋で通夜&葬儀を行うのが当たり前に。当然派手だった祭壇も簡素に、花輪・スタンド花も最低限になりました。

 

そうしている間に人の意識も変わり、「もう以前の様に派手に仏事を行う必要は無いんじゃないか?」という雰囲気になり、コロナが収まっても以前の様に派手に仏事を行う人が減るのではないかという気がします。

 

その根拠に葬儀社が新たに建設している葬儀場がどれも広さが大幅に狭くなってきていて明らかに家族葬用の小さな部屋のみで構成されていることからも判ります。

 

それでいて葬儀費用の設定が以前大きな部屋で葬儀を行っていた時と同じくらいのお値段の設定になっているのが(実質値上げ)葬儀社の新聞広告から見て取れるのでこれからはコレがスタンダードになるのでしょう。

 

感染症の蔓延から長らく続いた慣習が変化していく様が見れたのはなかなか興味深いと思っています。

 

閑話休題

 

それでは本の紹介へと参るとしましょう。

 

本日紹介する作品は、時代小説のジャンルから、佐伯泰英 さんの人気シリーズの完結巻、御留山 新・酔いどれ小藤次(二十五) です。

いつも通りあらすじ紹介から参りますのでよろしくお願いします。

 

【あらすじ】

 

旧主・久留島通嘉に頼まれ国元へ帰る参勤交代の行列に道々した小藤次と息子・駿太郎は参勤交代の行列に襲いかかる刺客を倒し、遂に旧藩・豊後森藩の陣屋にたどり着いた。

しかし藩主・通嘉を待ち受けていた国家老・嶋内主石の態度は明らかに臣下が取るべき態度でなかった。

 

国元の治世を牛耳る国家老・嶋内の横柄な態度を諌める事をしない通嘉の態度に合点がいかない小藤次と駿太郎。

 

果たして通嘉はこんな旧藩の様子を見せておきながら小藤次に何をさせようとしているのか?・・・

 

【解説】

 

①本書の著者は大人気時代小説作家の佐伯泰英!

 

本書の著者は大人気時代小説作家でありベストセラー作家の佐伯泰英。

1942年福岡県生まれの80歳。

 

大学卒業後実家の家業である新聞販売業の手伝いをしていたが芸術関係の仕事をしたいと1971年より1974年までスペインに滞在。そこでの経験を元にスペインと闘牛を題材にしたノンフィクション『闘牛士エル・コルドベス 1969年の叛乱』と『闘牛はなぜ殺されるか』、小説『ゲルニカに死す』を発表。

 

以後スペインや南米など、スペイン語圏を舞台にした冒険小説や国際謀略小説を中心としたミステリーを数多く執筆発表するもヒットに恵まれず、担当編集者から時代小説への転向を進められ1999年、初の書き下ろし時代小説『瑠璃の寺』を発表するや重版出来しヒット作に以後は時代小説作家として多数の作品を発表。ヒット作を連発し人気時代小説作家の仲間入りをする。

 

2007~2008年人気作『居眠り磐音 江戸双紙』シリーズがNHKにてテレビドラマ化。

2008年『密命』シリーズもテレビ東京にてテレビドラマ化。

2010年『鎌倉河岸捕物控』シリーズがNHKにてテレビドラマ化。

2013年今回作品を取り上げた『酔いどれ小藤次留書』シリーズがNHKにてテレビドラマ化。

また『居眠り磐音江戸双紙』シリーズはコミックス化(※途中で打ち切り)されるなどメディアミックス展開もなされています。

2018年、第66回菊池寛賞受賞。

 

②『酔いどれ小藤次』ってどんなお話?

 

本作『酔いどれ小藤次』は時代小説作家の佐伯泰英さんの人気時代小説シリーズ。『酔いどれ小藤次留書』19+2巻と『新・酔いどれ小藤次』25巻からなります。

 

お話の発端は!

 

時は江戸。赤目小籐次は貧乏な小大名である豊後国森藩の下屋敷の初老の厩番。そんな彼は大酒飲みで藩主が参勤交代で国元に帰る為の出発日、大酒が元で見送りに遅刻したということで藩を致仕した。

 

しかし小藤次の致仕騒ぎは本人が仕組んだものだった。

恩人であり敬愛する藩主・久留島通嘉が江戸城中控えの間にて同部屋の4家の君主らに城持ちでないことでからかわれた辱めを雪ぐべく行動を開始する小藤次。

大名4家の参勤交代の行列を襲い藩の象徴である御鑓を奪うという目的の為、たった一人東海道を下る小藤次であったが・・・

 

ということで、その後、大名4家の参勤交代の行列を襲い御鑓を奪取した小藤次は4家の大名に詫びを入れさせることに成功し屈辱を味わされた藩主の仇を撃つことに成功した。

 

そして事が終わった小藤次は一人江戸市中に消えていったのだが、その後紙問屋「久慈屋」の主人・昌右衛門や長屋の住人の助けを借り江戸市中の裏長屋住まいの包丁研ぎとして生活を始めた小藤次であったが、屈辱を浴びた大名4家の家臣達の一部が小藤次の暗殺を誓い暗躍。次々と刺客が小藤次に襲いかかる。果たして彼の運命は! という展開に!

 

その後刺客を次々と倒し続けた小藤次は、大名4家と手打ちが成立。暗殺者の襲来は納まるも、正義感が強くおせっかい焼きで人にものを頼まれると否とはいえない性格の小藤次は困っている人や理不尽な目に合っている人々を放っておけずつい手助けをしてしまい騒動に巻き込まれる日々が続く。

 

そんな強くて人の良い小藤次に江戸の民は大喝采!いつしか小藤次は江戸に無くてはならぬ人気者となっていくというお話です。

 

 

【感想】

 

時代小説家の佐伯泰英さんの『酔いどれ小藤次』の物語がこの8月完結した。

 

2004年2月に刊行され始まった『御鑓拝借―酔いどれ小籐次留書』から18年。長かったお話も遂に完結した。

 

「通壽も一国の主なれば居城が欲しいのう・・・」

 

シリーズ初巻である『御鑓拝借―酔いどれ小籐次留書』はまず別格だ。恩あるお殿様が受けた屈辱を晴らす為、下屋敷の厩番馬の世話係)の初老の男・小藤次が一人大名4家の大名行列を襲うというお話だ。お話は小藤次が負傷するも見事大名家の御鑓を奪取し4家の大名に詫びを入れさせて、自分は一人去っていく。という終わり方だ。

もうこの1冊で物語は完結している。

 

しかし著者はこれで物語を締めなかった。あるいは出版社がこの魅力的キャラクターの存在を終わりにせず物語を締めさせなかった。同年8月には第2巻である『意地に候 酔いどれ小藤次留書』が刊行。

 

箱根で山賊からの襲撃を受けその身を小藤次に助けられた芝愛宕下芝口橋(※現在の港区新橋)に居を構える紙問屋久慈屋の主人・昌右衛門が御鑓拝借騒動における小藤次の行動と人柄に惚れて身元を引き受け、自身の家作である新兵衛長屋に住まわせ江戸市中での生活を営ませようとする所から新たな物語が始まる。

 

 自分にできることは親に叩き込まれた研ぎの技術のみと久慈屋の軒先を借りて包丁研ぎの生活を行い始めた小藤次。しかし安寧は長く続かず詫びを入れた4家の大名家の家臣達が屈辱を受けたと小藤次の命を狙い刺客が次々と襲いかかるというお話に・・・

ここから数巻、小藤次は市中で包丁研ぎの仕事をしながら理不尽な目にあっている人を見るとおせっかいにも手助けをし、時に大名4家からの刺客との死闘を繰り広げる。

 

そして小藤次のおせっかい焼きは町民だけにとどまわらず旗本・大名や幕府老中からの頼みも受ける様になり遂にその報酬代わりにと大名4家と小藤次の間に完全な手打ちが成る。

 

そこからは江戸市中で包丁研ぎをしながら、困った人がいるとおせっかいにも直ぐ救いの手を差し伸べる小藤次のお話が続いていく。その間に小藤次は、小藤次を狙った刺客の赤ん坊を養子にしたり、憧れていた旗本の娘でありマドンナ的な存在を娶ったりして物語は長く続いていった。

 

そして物語初巻発刊から18年経った今年、6月から8月まで3月連続刊行を行い物語を締めたというわけです。

 

で今巻を含む前2冊においては、大恩ある旧藩の君主・久留島通壽(くるしまみちひろ)よりの懇願で参勤交代に随行して豊後森に行くことになった赤目小藤次と子の駿太郎。

殿様は小藤次に何かして欲しい事があるようだがなかなかその依頼内容を話さない。そんな読者ももやもやする中、突如参勤交代の行列を狙った刺客が次々と現れる。豊後森の地にいったい何の問題があるのか?というプチミステリー風に物語は展開。小藤次と駿太郎は冴え渡る剣技で刺客達を倒していく。

 

本巻を読み進めて行くと豊後森藩の君主・久留島通壽(くるしまみちひろ)がこれまで小藤次や読者に見せていた顔とは明らかに違う面を露わにする。

当初読者である自分はこの変化に戸惑いを隠せなかったが、ふと思い直した。久留島通壽(くるしまみちひろ)という人物を読者は小藤次を通してみていたのだが、人は自分以外の人毎に見せる顔が異なっているだろうということに気が付いた。

 

これは自分に当てはめてもそうだ。父、母、兄弟に見せる顔もそれぞれ違うし、親族、仕事の同僚や上司、友人、赤の他人にも見せる顔や態度も違う。見せる面もあれば見せない面もある。それが人間。ならば本作の殿様も小藤次に見せる面も見せない面もあるだろうし、印象も人によって違うだろう。

 

殿様は自分の屈辱を晴らしてくれ、困った事が起きると二つ返事で助けてくれる小藤次に、朗らかな面、気弱な面、困りきった面しか見せていない。

そして読者は小藤次を介してお殿様がちょっと気弱で、時にはトラブルに巻き込まれたり、自身でやらかしてしまう、ドラえもんののび太くん的存在だと思っていた。

 

しかし殿様には内に秘めた強い野望を持っていた。それは『酔いどれ小藤次』の物語の始まりとリンクする。

 

豊後森藩が何故家臣らの禄も半分位しか払えない位貧乏なのか?の理由にも繋がり、藩主・久留島通壽(くるしまみちひろ)の胸に秘めた願望にも繋がっていく。

 

人には誰しもそれぞれ相対する人毎に見せる面が違うということ。すべてを見せるわけではないということを実感させてくれました。

 

そして小藤次が久留島通壽(くるしまみちひろ)からの依頼にどう応えたのか?

コレは最終巻を見てご確認を!

 

そして江戸に帰った小藤次の物語がどう締められたかも・・・

 

まあ著者の代表作の一つ『密命』の終わり方よりは良かったですし、『居眠り磐音江戸双紙』ほどの終わり方程では無かったという感じかな。まあまあな締め方だと思います。

 

 

ということで当ブログ記事を読んで『酔いどれ小藤次』の物語い興味が湧いた方は是非拝読をお奨めします。面白いですよ。

 

さて、ちょっと話変わって、酔いどれ小藤次の物語が始まった頃は佐伯さんも62歳と初老だったが今やもう80歳、2010年頃(60代の終わり頃)には大病(前立腺癌)を患いながらも多数のシリーズ物を同時に執筆を続けてきたがそろそろ執筆ペースも落ちてきたようだ。

いや今までの執筆ペースが異常だったのだ。

だからこれからは、身体をご自愛しつつじっくりとでいいからこれまで通り良質な作品を生み出していって欲しいと思います。

 

ということで本日はここまで!じゃあまたね!

 

 

 

 

※当ブログ記事にはacworksさん、mamekaさんのイラスト素材がイラストACを通じて提供されています。