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あいだクラブログ

人と人、地域と地域、団体と団体など
様々な”あいだ”をつなぐ役割を担いたい☆
つながりの基本は人の”愛だ~”という
地域総合型スポーツクラブ”あいだクラブ”です
スポーツを軸にして活動しています

 中学で立てた高校での目標

 ・スポーツで県一位

 ・勉強で学年一番

 なんの根拠も無く、漠然と描いた夢…でした♪


 ここまで書いてきたように、立てた目標に近づくかも知れない努力はして来ました。

 たまたま上手くいって、中3でいきなり県一位!

 本当にたまたま…


 この頃になって進学相談になるわけですが、県大会が終わってから学校から帰宅する途中で僕に声を掛けてくれる人が現れました。

 この人が後で僕の恩師になるM先生でした。


 県内西部の市立と県立の2つの高校が合併して新しい県立高校が立ち上がりました。

 『県立米子高等学校』です。

 それぞれの校舎で別れたままの期間、その一つは西伯町法勝寺にあった旧県立法勝寺高等学校でした。

 そのM先生は中距離の選手で大学まで陸上で活躍され、教師になられてその高校へ赴任された方でした。

 「やまさき君だよね?うちの高校へ来て一緒に陸上やろうよ…」「待ってるからね」

 そんなふうに声を掛けてくれたのです。それも度々…。

 

 進路相談ではN高校なら大丈夫だろうと担任に言われましたが、頭もスポーツも僕の描くものとはアンマッチ…。

 ですが、声を掛けてくれている先生のいる学校には陸上部は無いのです。


 でも不思議に迷わず米子高等学校に進学する事に決めました。

 

 雪の降る中の受験でした。

 合格発表の事とか全く記憶にありません(笑)


 合格が決まって、いよいよ入学式♪

 母と2人で米子校舎(旧米子市立米子高校)へ向かいました。


 手続きを済ましたところで声を掛けられて校長室へ…


 え?何?


 続く

 

 県大会出場が決まった。

 1ヶ月後くらいだったように記憶している。

 ただ、それまでの間どんな練習をしていたのか?全く記憶していない。


 なぜここまで来たのだろうか?

 中2の頃にこのままの自分から変わりたいと思って、"高校では運動で県一位、勉強で校内トップ"と決めた(笑)

 なんの根拠もなかった(笑)

 ただそうなろう!と決めた。


 そこから日々が変わって行ったと記憶している。

 個人的な練習、無関係な陸上競技マガジンの記事との出会い、バスケの練習のハズが郡や県の背面跳びの最初の選手になるという嘘みたいな、マンガみたいなストーリー


 全く誰からも指導も教えも乞うていない。

 前代未聞って、きっとこうして生まれて来るのだろう。

 自分を誰かと比べる事もなく、ただ描いていた未来の自分になろうとする気持ちが、前向きになり一見無関係な事に繋がっていく。


 下手に指導者に教えを乞うと、その指導者の経験や器の範囲で留まってしまう。

 殻をブチ破るなら教えられたことだけをやっていても無理だ。

 自分自身を変革する為にもう一人の自分が考える"今出来る手段を実行してみる"しかない。

 内観や体感は自分自身の大切な指針になる。そしてそれは他の人にはわからない。

 

 素直に前向きにひたすらに取り組む気持ちを持ち続けられるか?

 友達と遊ぶ事やゲームに費やする時間を、全く天秤にかけずに放棄出来るだろうか?

 どんな楽しいと言われる事よりも、自分自身を変革することが楽しいに決まってる!と簡単に割り切れるか?

 誘惑に負けない、乗らない、気が付かないでいられるのか?


 そこが原点だったと思う。


 県大会は鳥取の布施陸上競技場だった。

 隣には野球場があり、同じ中学の野球部が郡代表だったので来ていた事は知っていたけど、僕の競技中彼らは外野席の上から見続けていたようだった。


 初出場とかの重圧、プレッシャーなど全く無く、伸び伸びと気持ち良く競技した事は覚えている。

 結局、175cmを跳んで優勝した。


 一躍校内のヒーローになってしまった😅


 そして高校進学か近づいて来ていた…


続く


 我が町の中学校では、郡体の選手選考会=校内陸上競技大会が行われて、選ばれた生徒が代表として郡体に出場する。

 その校内選抜が終わった日、放課後に砂場に残された走り高跳びセットがそままになっていた。

 砂場の砂がほぼ地面なので、体操のバク転練習などに使っている"パンヤ(クズスポンジ)"を詰めた布団状のネットも置いてあったので、頭の中にある背面跳びのイメージで初めて跳んだ。


 何度も飛んだと思う。跳び方はやってみるしか無いので、パンヤの向こうに落ちる事もあった🤭

 段々と跳べるようになって来て、バーを少しずつ上げた。

 靴は通学に履いていたスニーカー、体操服姿だったと思う。

 

 その時校舎の廊下から見ている先生がいた😅

 やばい!叱られる!…

 勝手口のところから下履きに履き替えて先生がやって来た…「お前何しとる?」「は、はい!すみません!跳んでました!」


 先生はバーの乗った受けの高さ表示のメモリに目を向けて…「お前、今コレ跳んどったか?」「ハイ!跳んでました!」

  呆れた顔で「お前来週の郡体、走り高跳びに出れ」と言い出した。

 「いえ、僕は今日の選抜に出てませんし、選ばれていませんから…」

 「選ばれた◯は棒高跳びにも出るから、お前が走り高跳びに出ればいい。」とその場で決めてしまわれた(・・;)

 

 まさかの展開…。バスケのスタメン無しの3年間で最後に個人練習でジャンプ力を伸ばした…のが、ここに繋がるとは…。


 首根っこを摘み上げて、良き方へ他力が働いた。

 そして初めての郡体…初めての走り高跳びの試合…

 結局スニーカーで170cmをクリアして初出場初優勝❣️

 県大会へ出場が決まった!

 本人さえも驚くこの流れは、いったいどこへ向かうのだろう?


続く