毎日、どこかで地震が起きている。
テレビ、ネットニュース
24日に起きたベネズエラの大地震の映像。
建物が崩壊し
瓦礫を背景に
悲嘆にくれる人々。
家族の安否がわからず
カメラを見つめ涙を流す女性。
絶望感に打ちひしがれ座り込む男性。
日に日に死者の数が増えていく。
日本でも地震、台風、土砂崩れ。
人間は自然災害には逆らえない。
母のエッセイより
1944年 東南海大地震のこと
地震の夜は、三十度に傾いた校舎の裁縫室に寝た。
皆、其々枕元に防空頭巾とお弁当を置き、眠った。
十二月の寒さであったが、余震を心配して、窓は開放したままであった。
私共 汽車通学者の一部の一二名は
翌日、トラックの荷台に乗せられ宇久井まで。
宇久井から線路伝いに、天満、勝浦、湯川、太地、下里と歩いた。
勝浦、天満まで来た時は驚いた❗️
牛は流され、家が流され
一人の老婆は 大声で泣きながら私達に
話してくれた。
「若者は皆、山に登って助かったが、私は預かっていた孫を津波にとられてしまった‼️」と。
後で聞いたが、折角 東京から疎開して来た数人の人達は、地震を空爆と間違えて防空壕に入った為、
波にさらわれたと…。
この津波によって、硬い鉄の線路も細々に切断され、クネクネと飴のように曲がって、単なる鉄の棒になってそこにあった。
路も荒れ崩されていた。
紀州は沢山トンネルがある。
昼間であったが、トンネルの中は真っ暗で、線路をたよりに歩くので、緊張そのものであった。
しかし、気持ちは 早く父母に会いたい!
妹も大丈夫か?我が家は?
その安否を思う気持ちでいっぱいだったのだ。
其々の駅で、三人、四人と別れた。
後に其々の家族の心配を聞いたものであったが、
勝浦方面以外は被害は少なかったらしく、安堵した。
私の家の近くに太田川という川幅の広い川が流れている。
その川のおかげで この地は助かったのだと聞いた。