昔から 

私は食べる事が大好きで

歳の割にかなり食欲があるほうだ。

あれ食べたい!これも食べたい!

食後には必ず

コーヒーと甘いものも食べていた☕️🍩


でも

休職する少し前位から

お腹は空くけど

何が食べたいのかわからなくなっていた🤫


休職してからは、

殆ど外出せずに あまり体力を使わない日々。


1人でいる時は特に 

食べる事にも執着しなくなってきた。


昨今の物価高で

暮らしていくのも大変になったが

食べものが手に入らないわけではない。


だけど今この瞬間も

世界中のどこかで

自然災害、戦争、あらゆる困難の中

食べる事が出来ない人が

数えきれない位いる。


私はむしろ感謝しなければならない😞



私は女中っ子〜母のエッセイより〜


父は材木商であり、母は木炭や肥料の販売の方を手伝っていた為に忙しかった。

私は七人兄妹の下から二番目。

番頭さん、女中さんも含む大所帯であった。

他にもねえやがいた。ねえやのウネさんは川向こうの農業を営む家の長女であったが、私が三歳ぐらいの時から子守りとして来てくれていた。

私は次第にその家に泊まるようになり、その家の子供と同じように育てられた。当時まだ幼い妹もいたので、母は大助かりだったであろう。

ウネさんの家の玄関の右側には牛小屋があったので、ご飯の時はいつも白いご飯の上にハエがいっぱいたかり、真っ黒になっていた。

ウネさんのお父さんとお爺さんは、其々伝馬船を持っていたので、畳のように広い網を使ってシロオ(白魚)漁をしていた。

シジミや野菜もリヤカーに乗せて売りに行った。私もリヤカーに乗せてもらって、「シロオはどうじゃのし。」「シジミも青のりもありますよ!」と呼び声高く、高芝の街を売り歩いた。

ウネさんの家に長くいるので、節分の時など、たまに実家に帰ると、兄や姉から「あんたどこの子?」といじめられたものである。


山桃やわらび、ゼンマイ、ゴンパチ(イタドリ)など

ウネさんと一緒に山に入って収穫した事を覚えている。