最近 地震が頻発している。


つい先程 ズドンと大きめの揺れを感じたガーン


スマホのけたたましい警報アラート音

久しぶりの警鐘にドキドキした煽り



母のエッセイ本の冒頭は

南海地震のことが書かれている。


女学校一年生の時である。

お作法の時間であった。

上下動から始まる大地震が発生。

皆いつもの防空頭巾と鞄を持ち

温室のある中庭に出る。

温室のガラスは全部落ちて割れている。

その上を上履きで踏みながら運動場に逃げる。

地震は止まる事なく長く続いている。

防空頭巾を被った皆は怖さに震えながら、

其々が「おかあちゃん!」「ママ〜!」「マミー!」「ダディー!」と泣き叫んでいた。


 私の祖父の時代(大正初期)和歌山県南端は特に産業はなく、バンクーバー、サンパウロ、英国などに移住する者が多く、戦争を機に帰国した者も多かった。


こんな時、私は周りの様子を見るのみで、

冷静になっている自分を不思議に思った。

しかし、心臓病を患い退院したばかりのSさんがいる事に気づいた時、「大丈夫‼️」と

無意識に彼女をしっかり抱きしめ守っていた。


看護婦として人を助けたい!と志を立てたのは、どうやらこの時からであったと思う。


私はその後、東京の日本赤十字の専門学校に入学し寮生活を送るようになるが、

周りの人達は誰も紀南の地震の事を知らなかった。

それもそのはずである。

NHKでも一切報道されなかったのだ。

昭和一九年(1944年)といえば、正に戦争たけなわの時。

勇ましい軍艦マーチの後、日本軍の嘘っぱちの戦果ばかり報道されていたからである。