貧困対策(その2) | 気力・体力・原子力 そして 政治経済

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原子力と経済についてはうるさいですよ!
 (旧有閑爺いのブログ)

 主流派経済学は大きな柱として「ケインズ経済学」と「新自由主義経済学」とを含んでいると考えてもよいでしょう。
 その二つの柱から何故「ヘリコプターマネー」なる考えが生まれて来たか、ということを追求することで、真の貧困対策が浮かんでくるのではないか、ということを前回は述べました。
 
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 今回は「ケインズ経済学」が貧困解消に対してどんなソリューションを示したかについて述べます。
 実は、ケインズは「貧困」ということを正面から取り上げて論じたことはありません。しかし、貧困をもたらす最大の要因である「失業」についてはかなり詳しく論じています。「失業対策=貧困対策」と必ずしも言えないのですが、ケインズが「失業対策」について論じたことは「貧困対策」にそのまま適用できると思いますので、今回はそれについて述べます。
 
 今から90年ほど前に、ケインズ教授と古典派経済学者のピグー教授との間で失業対策について盛大な論争がありました。当時は大恐慌による大量失業があり、この解決が喫緊の課題だったのです。
 元々古典派経済学は自由競争があれば経済上の事象はすべて整合すると主張しており、失業について言えば、労働力という供給があれば、働き口という需要が必ず作られるので失業などありえないという主張を持っています。なお、新自由主義経済学も基本的にはこの考えを継承しています。
 なので、ピグー教授は「今の失業は自由競争が行われていないからである」と主張した上で、「賃金は労働組合の抵抗で下げる方向に対して硬直している、従って失業がある場合は組合の抵抗を排して賃金引下げを行えば、労働力供給は減り、労働力需要(働き口)は増え、やがて失業は解消する。」と説いたのです。
 一方、ケインズ教授はこの主張に対して「実質賃金」という考えを持ち出して、ピグー教授の主張は成り立たないと反論をしました。
 しかし本来は、「総需要(有効需要)が労働力需要を決定している、賃金が労働力需要を決定しているのではない」という主張をすべきであったと、私は思うのですが。
 
 とは言うものの、この論争は決着をみています。

 ピグー教授の主張したことを信じて、これを実行した政治家がいました。オーストリアの首相であったドルフスという人です。
 彼は組合の反対を力で抑え込み賃金引下げを行いました。しかし失業は改善するどころか、経済は益々悪化し、民衆の怨嗟の声は大きくなるばかりで、1934年ついに暗殺されてしまったのです。
 「自由競争」というろくでもないことを信じたために、国民はますますの窮乏を得、自身は死を得たのです。
 
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 「自由競争」という馬鹿しか信じないことを信じて国民と自身を破滅に導いた者がいた一方、大恐慌で生じた大量失業を解決した政治家がいます。
 日本の高橋是清とドイツのヒトラーです。
 この両者の行ったことは本質的に同じことで、政府が借金をして得た資金で公共投資を行ったのです。借金の形態は日独で差があり、日本は国債の日銀直接引き受け、ドイツは公共工事受注者の発行した政府を支払者とする手形を中央銀行が割引する、という形でした。
 つまり、形こそ違え両者共に借金を資金に総需要を拡大させたことで、労働力需要を拡大させ失業を無くしたです。
 
 元々、総需要(有効需要)とは消費と投資の合計であり、それは総生産(総供給)に一致するということをケインズは提唱していました。ケインズがその思考を失業問題に拡げたなら帰着する考えは、失業を無くせば労働が増えるわけで結果は生産が増えることになり、それを逆から見れば生産を増やさない限り必要労働力を増やせないことになります。つまり総生産すなわち総需要を増やせば失業を無くすことが出来るという結論を得たはずです。
 せっかく有効需要について述べながら、そのことと失業問題を的確な形で示せなかったことがケインズの限界であり、ひいては主流派経済学の限界なのです。
 
 「総需要(有効需要)が労働力需要を決定している、賃金が労働力需要を決定しているのではない」ということは、結局のところ高橋是清とヒトラーが残した業績から言えるのであって、ケインズ経済学も古典派経済学も共に賃金にこだわり続け、無意味な論争を繰り返しただけで、「失業対策=貧困対策」のソリューションを示したわけではないのです。
 ですので、主流派経済学が今もって真の貧困対策を示せないのは、ケインズ以来の伝統であって、経済学という学問は本当に「役立たず学問」であるとつくづく実感します。
 
 なお、「総需要(有効需要)が労働力需要を決定する」ということを間接的に示す指標が労働生産性です。【労働生産性 = GDP / 投入労働力】ですので、この定義式から演繹できるのが「生産性が変わらないものとして、GDPを増やすには労働力を増やさなければならない」ということですので、「総需要(有効需要)が労働力需要を決定する」ということが成り立つことを示しているのです。
 
 注意しないといけないのは、この労働生産性の定義式を主流派経済学は悪用し、次のようなペテンを流布していることです。
 「生産性を上げれば、GDPが増える」(GDP = 労働生産性 × 投入労働力)
 上記の文言は生産性の定義式から演繹的に得られることなのですが、実際には成り立たないペテンであるのです。何故ペテンかというと、生産性は実経済を計測して得るGDPと投入労働力から計算で得る数値です。つまりGDPは実経済を計測することでしか得られない数値で、計算をして得る数値ではないのです。言い換えると生産性は操作可能な数値ではなく経済活動の結果から割り出され算出される数値であるのです。
 GDPは使った金の合計ですので操作可能であるし、投入労働力も働いた時間の合計ですので操作可能です。つまり操作可能な物を操作することでしか経済を動かすことは出来ないのです。
 経済学は何を動かせば何が動くかということに全く無頓着でありますので、何が出来て何が出来ないかという基本すら弁別出来ない学問なのです。
 ここまでくると、経済学は「役立たず学問」を通り越して「欺瞞学問」とまで言えます。
 
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 因みに、主流派経済学は失業問題について、新自由主義経済学の立場から次のように述べています。確か内閣府参与の浜田氏が「アホノミクス」違った「アベノミクス」の政策説明に際して述べたと思います。
 「名目賃金には硬直性があるため、期待インフレ率が上がると、実質賃金は一時的に下がり、そのため雇用が増えるのです。」
 上記の文言は、ケインズの述べた「実質賃金」という考えをパクっていますが、言っていることは古典派経済学者ピグー教授の主張と全く同じです。すなわち「賃金を変えれば労働力需要を変えられる」と主張しているのです。しかも賃金を変える原動力はインフレだ、と言っているのです。
 
 そのために「アベノミクス」では「名目GDP 3%増、 インフレ率 2%」という目標を置いたのです。「インフレにすれば雇用が増える」という主流派経済学の主張(浜田某をはじめとする欺瞞学者の主張)を採り入れたのです。
 
 しかしながら「雇用増=貧困対策」は世の中をインフレにすれば達成できるという説が成り立たないことは、形は少し違いますが90年近く前にオーストリアの首相であったドルフスという人が暗殺されたことで証明されていることです。
 そして「雇用増=貧困対策」は総需要を増加させることで達成できるということが成り立つことは、同じように90年近く前に高橋是清とドイツのヒトラーが証明しています。
 
 経済目標として名目GDP増を挙げることは正しいことなのですが、インフレは目標とすべきものではありません。インフレつまり物価上昇は購買力減退の原動力ですので、可能な限り抑え込まないといけないのです。
 そんなことも分からないのが安倍晋三です。アベノミクスがアホノミクスと呼ばれる所以であります。