「現金給付」に対する懸念 | 気力・体力・原子力 そして 政治経済

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 (旧有閑爺いのブログ)

 

 私は「現金給付」という政策は筋の悪い政策である、と常々主張しています。なぜそう主張するかについて本日は述べてみたいと思います。
 
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 ミルトン・フリードマンというある意味で「新自由主義経済学」の元祖と言えるヘボ経済学者(下記注)が、「ヘリコプターマネー」という発想を発表して以来、「現金給付」ということが政策としてあり得ると考えられるようになりました。
 ですので「現金給付」は「新自由主義経済学」の権化ともいえる政策であり、このことを主張する人々は全てネオリベであると断じることが出来るとともに、ネオリベはグローバルな環境を欲しますので、グローバリストの主張でもあると考えても外していないと思います。
 
 今どきの人の中には、口で反ネオリベ・反グローバリズムを唱える人はいます。しかしその人の頭の中は「新自由主義経済学」に占拠されており、経済について考える思考回路もネオリベそのものです。
 従って、経済に対するソリューションとして、新自由主義経済学直伝の「困ったときの現金給付」という政策は、誰でもそう考える至極当たり前の主張に基づく政策だと思っているのでしょう。
 因みに私は、「現金給付」という政策はネオリベという品性下賤下劣な連中のみが訴える主張(貨幣で経済を操れるという主張)に基づくものだと思っています。
 つまり、今どきの人は、「反ネオリベ」に立った場合の主張と「現金給付」という主張は互いに矛盾する主張だとは思っていないのです。
 
 なので、今回の武漢肺炎に乗じて「困っているのだから現金を配れ」という主張をする人が多数を占めるようになっても不思議ではないのです。
 
(注)
 今まで多くの経済学者が世に出てきましたが、彼こそ「インフレーションは貨幣現象」という噓八百ともいえるヘボな説明をしたことで知られる人です。
 因みに彼は「インフレーションは貨幣現象」と述べて「ノーベル経済学賞」を受賞しましたが、「ノーベル経済学賞」はノーベル財団と無関係の賞であり、いわばノーベル賞のパッチもんです。世界最大クラスのヘボにはお似合いの賞だと思います。
 
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 経済縮小時に拡大策を最も上手に行った政治家が高橋是清です。「昭和大恐慌」で落ち込んだ経済を救ったのです。
 やったことは至極簡単なことで、「借りて使え」を実行したのです。
その政策名は「時局匡救事業」というもので、今で言うところの公共事業です。
 
 今どきの人は「公共事業も現金給付も同じでしょ」と言うと思いますが、両者には根本的な違いが存在します。
 
 公共事業は基本的に事業完了で現金の支払いが行われます。一部を前請け金の形で事業者に現金が渡るかもしれませんが全額がわたることはありません。ですので基本的には政府から出た現金に対応する生産つまり労働は、既に完了しているのです。つまり実際のGDPは既に出来ているのです。
 従って、政府が支払う現金は既に労働が行われたという労働の証明書という意味合いを持ち、それと交換可能な物品は、原理的には既に生産済みであるわけです。
 
 一方、現金給付に充てる現金は「印刷したての紙切れ」にしか過ぎず、労働の裏打ちはありません。なので、その現金と交換可能な物品は現金が給付された後に生産されることになるのです。がしかし、その生産は約束されたものではありません。これからやる話なので生産されない場合だってあり得ます。特に生産現場が混乱している場合は、まさに保証の限りにあらずです。生産されなければ実際のGDPは生まれません。
 つまり現金給付という政策は、給付され庶民に渡った現金が実際は「紙切れ」という役目しかなかった、という想定を否定することは出来ないのです。
 もちろん、現金給付の効果なしということは実際はインフレーションという形で現れると思われます。給付金に対応する生産はまだ行われていないのですから、給付金による需要と実際の生産とがアンバランスとなりインフレが起きる。そのため購入品の数量品質レベルで評価するなら給付金の効果は無かったということが起こり得ると考えられるのです。
 以上をひっくるめて言うと、現金給付は不況下のインフレーションつまりスタグフレーションを起こす可能性が有るということです。
 
 また、同じように「消費税廃止も現金給付も同じでしょ」と考えておられる方がほとんどだろうと思いますが、この両者にも根本的な違いが存在します。
 消費税は庶民が働いて得た所得から納められます。それが廃止されるとその分は消費者の手元に残ります。すなわち消費者・庶民の手元に残る現金に対応する生産は既に完了しており、手元に残った現金と交換可能な物品は、原理的には既に生産済みであるわけです。
 一方、給付による現金対応する生産は行われておらず、これから生産されるかもしれないし、生産されないかもしれないというあやふやなものであることは上述の通りです。
 ですから、消費税廃止と現金給付とには明確な違いが存在します。
 
 以上述べたことをまとめると、まず労働による価値作りがあってその対価としての通貨と、印刷して作る労働の裏付けのない通貨とには異次元の差があり、その差を吟味せずに「現金給付」を万能の如く考えることは極めて危険なことと私は思います。
 
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 上段で述べたように、ネオリベは経済を語る場合、まず「貨幣」を口にしてそれのみに終始し、「働くこと」を決して口にすることはないという大変に下賤で下劣な連中です。
 「働いて、価値を作り出し、それを使うこと」が経済です。それをベースに経済を語るなら、「貨幣」を持ち出す必要はさらさらありません。
 
 「働いて価値を作った」という裏打ちが通貨にあるから、通貨を「交換価値一般」と考えてもよいだけでしょう。
 基本的には、通貨は貸借関係が存在するということを記載した印刷物ですが、庶民が手にしている通貨は働いたという証明書(すなわち労働の対価を受取れる権利書)と考えてよいでしょう。
 
 「働いて価値を作る」ことを無視して「現金給付」に拘ることは、大変危険なことである、というのが私の懸念です。
 その懸念は、消費税廃止と公共事業の拡大で払拭できると私は考えています。
 
 高橋是清の時局匡救事業はたった3年やっただけです。それだけだけで「昭和大恐慌」から世界に先駆けて脱出することが出来たのです。
 ドイツはヒトラーの登場によりやっと「昭和大恐慌」から脱出できたのです。当然のことながらヒトラーも公共事業によりそのことを達成したのです。
 米英が「昭和大恐慌」から脱出できたのは第二次大戦の軍需拡大によるものです。
 
 公共事業の拡大は、経済拡大に絶大な効果を発揮します。「貨幣やその貸借」について口角泡を飛ばすよりは、国家として作るインフラストラクチャーの壮大さを語りましょう。