2024.08.31@Varanasi🇮🇳


「シャンプー!」スワミジの大きな声で起こされる。こんなに綺麗に伏線回収するかねと思いながらリビングへと向かう。男性器で呼ばれるくらいならこちらの方がマシだと思い、今後はシャンプーと呼んでくれと伝える。異文化交流には時に大きな妥協が必要なのだ。

今日は5時に起きてガンジス川の沐浴を見物しに行く予定だったが、気付けば6時になっていた。スワミジの大声にも合点がいく。


ちなみにこの家には、祭壇のあるリビング、エアコンのある主寝室、そして僕が寝ていた副寝室の3部屋がある。前夜、あなたもエアコンのある部屋で一緒に寝る?と誘われたが、1人で寝るほうが気楽だと思い丁重にお断りしていた。起きてから知ったのだが、聖職者であるブリンダジとスワミジは主寝室で、メイドであるムケッシュはリビングで雑魚寝をしていた。

この家に来てから、小さな違和感が消えなかった。ムケッシュだけ料理の品数が少なかったり、彼の分だけカレーとご飯が別皿になっていなかったり(盛り付けしているのは彼ではない)、彼だけ瞑想やお祈りに参加しなかったり(彼も敬虔なヒンドゥー教徒である。)。

メイドなので指示された家事をこなすのは彼の仕事なのだろうが、それにしても扱いが一段低い気がするのだ。これこそが恐らくカーストというものなのだろう。彼ら3人で談笑している時は仲の良い友人のように楽しそうにしているのだが、ふとした瞬間に小さな違和感を感じることが多々あった。

ブリンダジとスワミジは、ヒンドゥー教の僧であると同時に社会奉仕家でもあり、孤児の支援などを積極的に行なっており、首相から表彰も受けている立派な人達である。ただ、だからこそ小さな違和感が僕には大きく映ったのかもしれない。孤児の支援を行っている人達が、家ではメイドをリビングで雑魚寝させている(僕を主寝室に誘うということはスペースは空いているはず)というギャップがそう感じさせるのだろう。何となく映画”ゲットアウト”を思い出す。

何だかなぁと感じつつも僕に出来ることは何もない。そして恐らく彼らにはそれが当たり前すぎて、両者とも違和感を感じることなく暮らしているのだろうと邪推する。

昨夜は暑さと謎の虫に刺されまくったせいであまりよく眠れなかったのだが、せめてものカーストへの小さな、一個人の抵抗運動として明日以降も僕は主寝室では寝ないでおこうと勝手に決意したのであった。