―≪3・11から8年クモスケ被災地流浪の旅日記5≫― | 世直し「クモスケ」のブログ

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オイラは通称「クモスケ」推定40

被災地からハマ(横浜)に戻ってきた年収200万円の「タクシードライバー」

「港の見える丘公園」ではなく、「緑山スタジオの見える青葉区」に住んでるぜ!

古女房と11歳の長女に6歳の長男の4人暮らしで「チョー貧乏」な一家です。休日には時々、材木座海岸や七里ヶ浜でウィンドサーフィンを楽しんでるよ

 

「震災から8年を迎えて」

2 忘れられない記憶と風化させてはならない記録~女川町

 

(画像提供:女川温泉ホテル「華夕美」)

「俺はあの時、人前で初めて大声を出して泣いてしまったんだ。おふくろの遺体を見たら絶対泣くと分かっていたから親父には来るなと言った。親父にだけは泣く姿を見せたくなかったからなあ……」

番頭さんは運転席でハンドルを握りながら、伏し目がちに震災当時を振り返った

 

オイラは以前、潜入取材の目的で一時的に女川町のホテルに勤めていたことがあった。この日ホテルの用件で番頭さんの運転する車に乗りながら石巻市内へ行く途中、番頭さんが震災直後の忘れられない記憶について静かな口調で語り始めたぜ。訊いているうちに、オイラの目頭が次第にあつくなってきたよ

 

東日本大震災の当日、番頭さんは出張で山形まで行っていたという。女川町の自宅が津波で被災したことを報道で知ると、番頭さんは自宅に居る両親のことが心配になり直ぐに帰宅しようと決意し車で出発したが、国道などの大通りは全面通行止めになっていたため山道などの裏道を通るなどして、なんとか女川町のホテルまでは辿りついたのである

 

しかし、ホテルから自宅までの道路が全面通行止めになっていたので番頭さんは夜中の山道を歩きながら自宅のあった場所まで行ったそうだ。自宅は津波で既に流されてしまっていたため、両親の安否が気になった番頭さんは家の周辺を探しまわったという。夜間の停電という最悪な状況で番頭さんは足元も真暗闇でろくに見えなかったそうだが、瓦礫や車、船といった通常では考えられないあらゆるものがグチャグチャになって散乱していたのを確認できたという。そして多分、瓦礫下には多くの遺体が埋もれていたのかもしれない、と感じたそうだ

 

その後、番頭さんは避難先である女川町の体育館まで行ったところ、お父さんの無事が確認できた。しかし、番頭さんのお母さんは避難する途中、首まで冷たい水に浸かったことが原因で体育館に避難した直後、低体温症により既に亡くなってしまったと聞かされ、受け入れがたい現実を知り愕然としたという

 

それで、番頭さんがお母さんのご遺体と対面するため、遺体安置所に行ったところ、お母さんがブルーのビニールシーツに無造作に包まれて横たわっていたといい、悲しい結末は冒頭に記したとおりだった

 

311では、女川町の多くの住民がこのような体験をしている。番頭さんもそうだが、多くの被災者は当時の状況を語りたがらなかった……当然だろうな

 

 

あの日から6年経過したが、番頭さんは今ではホテルの『大黒柱』である。

この人がいなければ、ホテルの運営も成り立たない。

 

人は苦境に立たされたり艱難に遭遇した時、『神や仏』に成る人もいれば、逆に『悪魔』に豹変してしまう人もいることを、この被災地に来て初めて知った

 

 

番頭さんは明らかに前者だった。風来坊でよそ者のオイラには、番頭さんは神様のような存在に思えてしまう。後者(悪魔)については……本ブログの趣旨に反するので省略するぜ

 

*これらの画像は、女川町のホテル『華夕美』の番頭さんから特別に入手した震災直後の生々しい写真集と、女川町観光協会が提供してくれた「朝日新聞社報道ヘリ」の撮影した画像の一部だ

 

「百聞は一見に如かず」である。初めてこの写真集を見てしまったオイラは、生々しい被災直後の女川町の光景に戦慄を覚えてしまったぜ。核ミサイルの1発くらいでは、このように町全体が壊滅できるほどの威力などない

 

改めて、自然災害(大規模な地殻変動による大津波)の恐怖を感じさせられてしまったよ

 

 

◆*女川町の被害状況(女川町 企画課 防災係資料引用)

・最大津波高=14.8m(港湾空港技術研究所調査)

・浸水区域 =320 ha(国土交通省被災状況調査)

・被害区域 =240 ha(宮城県発表)

・人的被害 =死者:574名(平2731日現在)

死亡認定者:253名(震災行方不明者で死亡届を受理された者)

町人口:114名(平成23311日時点)

 

・住家被害数=住宅総数:4 411

・被害総数 =3934棟(89.2%)

・全壊   =2924棟(66.3%)

・大規模半壊=149棟(3.3%)

・半壊   =200棟(4.6%)

・一部損壊 =661棟(15.0%)

・避難状況 =最大25か所~5720名(平成23313日時点)

・二次避難 =延べ360名女川町の被害状況

(女川町 企画課 防災係資料引用)

 

その後、震災から8年経過し女川町は見事に生まれ変わった

「復興ではない。町を新しく建て替えただけさ」

若い世代の女川町民たちが口をそろえて言う。オイラにはこの言葉が納得できるぜ

 

明日は、311から8年を迎える

東日本大震災による被災の状況

岩手県

死者4674人、行方不明者1114人、震災関連死467人、避難者1028人

宮城県

死者9542人、行方不明者1219人、震災関連死928人、避難者4196人

福島県

死者1614人、行方不明者196人、震災関連死2250人、避難者3万2631人

《3県含む全国の総数》

死者1万5897人、行方不明者2533人、震災関連死3701人、避難者5万1778人

※死者・行方不明者は平成31年3月8日時点(警察庁)、震災関連死は昨年9月30日時点(復興庁)、避難者は2月7日時点(同)。

※東日本大震災被害総額

―東日本大震災の被害総額は約16兆9千億円―

内閣府は24日、東日本大震災の被害額を約16兆9千億円とする推計をまとめた。17の省庁と被災3県を含む9県が24日までに調べた建築物や公共施設、道路・港湾などの被害合計額

【被害額の内訳】

・住宅や工場などの建築物が約10兆4千億円

・河川や港湾、道路などの社会基盤施設が約2兆2千億円

・農地や水産関係施設などの農林水産関係が約1兆9千億円

・水道やガスなどのライフライン施設が約1兆3千億円

・福祉施設や公共施設などその他で約1兆1千億円

(推計は震災と津波による被害が対象で、原子力発電所の事故による影響は含まれていない)

*阪神大震災の被害額の推計は約9兆6千億円(1995年国土庁)

今回の大震災は都市部で発生した阪神大震災に比べ、農林水産関係の被害が大きく膨らんだのが特徴的

(阪神大震災の農林水産関係などの被害額は約5千億円)

内閣府は今年3月、宮城県など7道県を対象に、阪神大震災の被害状況を基に推計した被害見込み額を16兆円から25兆円程度と発表していた

 

 

 

先の東日本大震災で亡くなられた方に、改めてこの誌上をお借りし、心からご冥福をお祈り申し上げます