前回の続きです。長くなり申し訳ございません。





前回





入院日当時。事前に貰っていた入院書類に持参する物の指定があり、ショートステイの荷物だけでは不足する物があったので、レンタカーに積み込んで病院へ持ち込む事にしました。





母はショートステイ先から介護タクシーでやって来る事になっていたので、ケアマネさんから指定された待ち合わせ時間より早めに到着するように家を出ました。





約束時間より早く到着したかったのは、入院手続きなどを母が来る前に済ませて、限られた機会時間を忙殺される事なく、少しでも長く母と一緒に居たかったから。





でも、私の目論見は良い意味で裏切られました。約束の時間より25分ほど早く病院に到着すると、すでに母やケアマネさん、支援員さんと相談員さんが待っていました。





その4人に囲まれる形で座っている母が遠目からも分かりました。私の姿を見て、ケアマネさんがサッと席を譲って下さり、母の隣に座ることが出来ました。





3週間ぶりに見る母は、頬がこけ、顔には大きなカサブタ傷。目は吊り上がっていて “人相が変わる” とは正にこの事だな…とショックでした。





ケアマネさんや、相談員さんが母に向かって「隣に座った人(私)のこと分かる?」と聞いてくれましたが、母は私を見ても『この人?知りませんよ』と素っ気なく口調も喧々。





ショートステイに行く前から名前は忘れられていたから、きっとそうだろうな…と思っていましたが、やはり悲しかったです。私は母に忘れられることがずっとずっと怖かったから。





母の隣に座ったものの、なかなか話しかけられませんでした。母の姿がショックだったのもあるけれど、母を手放してしまった罪悪感が大きくて気まずかった。





その後、ケアマネさんなどが何度も母の記憶を呼び起こそうと、私を見るように促してくれましたが…何度聞いても母は私を知らないと。むしろ私の事を、“この方” とか “こちらの方”という ザ・他人な表現でした。





以前のような明朗快活な母はすっかり消えてしまい、不穏と疑心に支配されている姿。つらかったけれど、主治医の診察を受けるまでの40分間くらい母と過ごせて、手を繋ぐ事もできました。母としては、フラフラする足取りを支えてくれる他人という感覚だったかも知れませんが、私は母に触れることが出来て嬉しかった。本当はギューッと抱きしめたかったけど。






長くなりますので、ここで区切ります。申し訳ございません。次は主治医の診察について書きたいと思います。