残念です | ぼんくら雲のすけのブログ

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双極性障害手帳2級
障害厚生年金2級
二型糖尿病 直近ヘモグロビンA1c6.4
失業保険7月初旬で終わりますので就職しないといけません。
去年の年収は145万8903円でした。

子供の頃のスターと言えば野球選手しかいなかったんですよ
Jリーグが開幕したのが私が小学5年生の時で、それ以前に自我に目覚めていたような子供だったらまず憧れの人はプロ野球選手だったわけです

本来なら私のようなカスが、このようなこと人様の事をあーだこーだいう資格なんてないし
おこがましいことであるのは百も承知ではありますが・・・

私として、もちろん本人に面識などあるわけもなく
また特別な思いやファンであったわけでもないのさ

それでも残念なのは不思議であるのだが、やはり子供の頃からのスターがこんな風になってしまって・・・
人並みに残念ではあるし、悲しい気持ちもある本当に残念だ

□私が子供の頃は西武の4番でパリーグの顔

当時は人気のセリーグ
実力のパリーグなどと言われていましたね

セリーグ特に巨人の人気はすさまじく、試合も立ち見になるほどでした
パリーグの試合はそんなこともないので、ある意味気楽というか気軽に試合を観戦することができました
考えようによっては、セリーグ以上のレベルである試合を簡単に観戦できるわけですからね

□常勝軍団西武の4番

この頃の西武はとても強く、毎年のように優勝していましたし本人も爽やかな風貌をしていました

□日本プロ野球の顔だったのかも

パリーグは人気があまりなかったので、選手にスポットがあたることはそんなにありませんでしたが
この人は別格で、オールスター戦や日本シリーズにもよく出ていましたので知名度などに関しては言うまでもないでしょう

□不遇だったパリーグ

セリーグの選手と同じような成績や数字を残しても、例えば巨人の選手であればすぐスター扱いされるのに
パリーグの選手はなかなか持ち上げられることはありませんでした

そんな中、この選手はプロ野球の顔的扱いをされていましたのでやはり別格だったと言えるでしょう

□西武時代が全盛期

早熟の選手だったのかもしれませんが、1990年代前半までは特に高水準の成績を残していましたね
反面、タイトルにはいつも手が届かず本塁打王などは惜しいところまではいっても、いつも外人に持っていかれたような印象が残っています

□運が悪かったのかな

数字以上に活躍しているような印象もありましたし
打率は低いことも多かったし、三振も多かった気もしますが

本塁打は印象通り多いですし
打点もけっこうあげていますので、やはり勝負強かったのではないでしょうかね?

粗を探せば、そこまで突出した成績を単年単位で残せなかったのかなと思いますね
例えば本塁打40本以上とかはないですから、だからタイトルに手が届かなかったのかもしれませんが

それでも、数字上は何回かタイトル取っててもおかしくはない年もありますし
100打点以上は一回しかなかったかな?でも90打点くらいの高水準は何回もやっていたし、本塁打30本以上の年もけっこうありましたよね

□巨人に移籍して・・・

西武入団の経緯もあったので、致し方ないみたいな空気があったのを覚えています
西武にずっといるべきみたいな声や惜しむ声、残念だと言った意見もあったような気がします

□叩かれる

巨人に移籍して、松井に比べると低打率で勝負弱かったようなところもありまして(ようは穴がある
また、年俸が高騰してきた頃だったのでさんざん叩かれていたのを覚えています
成績自体は、西武時代晩年よりむしろ上げてたりもしたんですがファンの期待が大きすぎたんですかね

□魔改造そして・・・

肉体改造話題になりましたね、元々ガタイのいい選手だったんですが
筋肉を増やし体重を増量するということでパワーアップを狙ったような感じでしたが・・・

□突出した成績をのこすが・・・

100打点以上を一回やりまして、肉体改造の成果なのかもしれませんが
これ以降怪我に悩まされることになってしまいます
特に引退の最大の要因にもなった膝の怪我は、毎年のように発症→離脱を繰り返すようになってしまいました。また風貌も年々ガラが悪くなってチンピラのようになってしまいました

□体重増の弊害

当然膝への負担も重くなり、怪我がちになってシーズン丸々出場することが事実上できなくなってしまいました
それでも魔改造の恩恵か、パワーだけは最晩年になる前までは衰えた風には見えなかったので
少ない出場ながも本塁打だけは2桁に乗せたり、打数からしたらかなりの頻度での本塁打率などを記録していました

フル出場さえできれば本塁打30本以上打てるかもなんていうロマンはありましたよね、晩年になっても

□オリックスへ・・・

最晩年、この頃にはパワーもさすがに衰えて試合に出ることすらままならなくなりました
それに比例して、風貌は年々パワーアップ?もはやゴロツキを通り越して武闘派ヤ○ザのような風貌に・・・

□ある意味かわいそうだが・・・

マスコミなどに作られてしまった番長キャラの印象で世間にも認知されてしまった(本当は繊細で気の弱い男の人なんじゃないか
またこの人だから許されると言った風潮もあったと思う

若手に理不尽な恫喝したり、報復発言するなどヤ○ザそのもの・・・

□つるんでいる連中もうさんくさくなる

スポーツ関係、芸能人問わず取り巻きなどもガラの悪い怪しい風貌の人が増えたと思う
みんないい年こいてチンピラみたいな風貌、とっつぁん坊や・・・

□本を見たこともあった

いかつい顔の表紙の本でした、今回のことがあったから見たんではなくだいぶ前に暇だったので図書館で見ました

あの時はあれがあったからこうした

こういうことをされて本当に悔しかった

屈辱だった、これがあったからこうなってしまった

などなど、本人のかなりプライドが高く繊細である意味か弱いような印象を受けました
性格は女の人みたいなところもあり、人のせいにするようなところも見受けられましたので
番長キャラとはかなりのギャップがあるし、実際そうなのでしょう・・・

□残念です

今回の件で、指導者の道は事実上断たれ(ほとぼりが覚めても、臨時コーチが関の山でしょう
芸能関係にしても、テレビ自体が落ち目であるし難しいでしょうね

まぁこれが昭和末期とか平成初頭の頃くらいのおおらかな時期であったら、また違ったんでしょうけど
今は色々うるさいし、厳しいですからね・・・

□白い粉はご法度でしょう

まだ草みたいなやつならまだしも
世界的にも白い粉はNGですよね・・・

□子供の夢が壊れる

子供だった今の大人の夢も、本当に残念です
この人だから許された発言、美談なども全てうさんくさくなるし
疑惑があった時点で、離れていった人たちはまともで見る目があったんですね

逆に最近までつるんでいたり、手助けしていたような人たちはうさんくさくなるし怪しくもなる・・・

□最後に

私として特に思い入れも強かったわけでもないが
やはり子供の頃のスターが堕ちていくのを見るのは悲しいモノがある

私の周りにも西武時代の爽やかな風貌のほうがよかったと言っている人は多かったし、私もそう思う

強面の男性(ひげボウズなど
に限って、繊細だったり気が弱かったりするところもあるがこの人はスターだったこともあり、印象を演じるためにそうしていたのが歯止めがきかなくなったのかなとも思う

一言言いたいのは、やはり30歳前後とかで急に不良みたいな風貌になっちゃうのは
なにか心の闇を抱えているのかなとも思ってしまうし、そういう人はやはりロクでもないということ

私としておこがましい文章を書いてきたが、この人のやったことは実子のことを考えたりすると最悪である・・・

通算成績、特に本塁打数などは歴代上位でタイトルなしとしては異例のような数字を残している
無冠で数字も高水準ではあるが、そこまで突出していなかったりするところも、玄人のようなファンからしたらたまらないのかもしれない

本当に数字以上に印象に残り、ファンでなくてもなぜか気になってしまう不思議な選手だった
この人以上に数字を残す人は、これから先も出てくるが
総合的に、この人以上に印象に残る選手はそうそう出てこないだろう

本当に残念であるが、ファンでもなく今は野球もテレビも見ていない私がこれだけ残念な気持ちになり
悲しくもあるのが不思議であるし

それはこの人が持つ「カリスマ性」なのかなとも思う