10 物のあはれと共通理解

 

 物のあはれの、この「あーーーーーーーっ!!!???」は、さらに重要なことを教えてくれる。私たちは、「他人と共通理解できる領域」と「他人と共通理解が成立しない領域」を持っているのだ。

 

          割合     例

 他人と共通理解  約70%    自然科学、数学、論理(簡単なもの)

 できる領域

 

 他人と共通理解が 約30%    美(価値)、宗教、イデオロギー、論理(難解なもの)

 成立しない領域      道徳・倫理、物のあはれ

 

 ざっくり計算すると、私たちの生きる世界の約30%は、共通理解が成立しない。”1+1=2” や、”地球は365日で太陽の周りを回る”や、”二酸化マンガンに過酸化水素水をかけると酸素が発生する”は、ほぼ世界中の人々と共通理解を持つことができる。

 

 ところが、

 

・日本共産党を支持する。

・物理学者こそ、世界でもっとも価値ある職業だ。

・ハコスカ(日産スカイライン1968年型)のエンジン音が好き。

・女は勉強したり、社会進出したりすべきではない。

・私は女だが、女の人しか愛せない。

 

 これらの考え、主義、主張、性向は、世界中の多くの人と共通理解を持てない。わかる人にはわかる。わからない人には、まるで”宇宙の出来事“のような謎となる。少し考えれば、これは誰だって経験していることだろう。自分が何より大切にしていることを、わかってもらえない。それはたいてい、残り30%の領域の話だからなのである。

 

 私の考えでは、本居宣長も同じ壁にぶつかった。若き日の彼の謎は、和歌や源氏物語の素晴らしさを儒教や仏教では解けないことだった。むしろ、儒教や仏教は、“美や恋”を率先して否定する。気の乱れだの、煩悩だのと言って、「あーーーーーーーっ!!!???」という「かなしき事、う(憂)きこと、恋しきこと」を放っておく。

 こんなのインチキだ!と、本居宣長は考えた。でも、自分一人では自信がなかった。そんな彼を救ったのが、契沖なのである。 

 

      契沖             本居宣長

・古代の人の言葉を、その時代に  ・朱子学や仏教哲学がなかった時代に

生きているつもりで聞くこと。   生きているつもりで勉強すること。

 

・古代の書物を、古代の人の身に  ・朱子学や仏教哲学の『理』を使わず、

なって読むこと。         ごく普通の人の心で感じ味わうこと。

 

『理』(合理、科学的思考)を無視して、勉強する方法があるんだ。哀しみや恋のつらさを、学問として勉強して良いんだ。若き日の宣長は、契沖を読んでそう確信した。