8 物のあはれ

 

①  かなしき事、う(憂)きこと、恋しきこと

 

 物のあはれとは何か?本居宣長は、こう書いている。

 

「うれしきこと、おもしろきことなどには、感ずること深からず、ただかなしき事、うきこと、恋しきことなど、すべて心の思うにかなわぬすぢには、感ずること、こよなく深きわざなるが故」

 

 これが、本居宣長のスタート地点である。「心の思うにかなわぬすぢ」とか「わが心ながら、わが心にもまかせぬ物」に出会うとき、私たちの心は「あはれ」を感じている。だが「あはれ」と一口に言っても、「うれしきこと、おもしろきこと」では浅い感動に過ぎない。「かなしき事、う(憂)きこと、恋しきこと」にこそ、深い感動が訪れるのだ。国文学者という頭の固そうな人が、「恋しきこと」を真剣に考えている。これは、とても重要だ。

 宣長は19才で、商家の養子になった。江戸で商いを学ぶが、なぜか上手く行かなかった。商家を離縁、本居家に復帰。今度は京都で、医学を学んだ。

 

② 契沖

 

 在京中、彼は契沖という人の「百人一首」の注釈書を読んだ。この本が、宣長の人生を大きく変えた。彼はのちに、「”契沖の大明眼”によって道が開けた」と書いている。では、”契沖の大明眼”とは、いったい何なのか?

 百人一首とは、ご存知の通り和歌である。

 

 あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む(柿本人麻呂)

 

<現代語訳> 山鳥の長く垂れ下がった尾のように、長い夜を一人で眠るのだろうか。

 

 百人一首のうち、43首が恋の歌である。そもそも和歌とは、「恋の告白」の手段だったそうだ(学識ある富裕層に限られる)。だから、恋の歌が多くて当然だ。つまり和歌とは、現代のラブソングと変わらない。宣長は、一生を通して和歌が大好きだった。

 

 契沖(1640~1701)は、真言宗の僧であり、かつ古代の研究者(=今の言葉では国学者)だった。彼が主張したのは、

 

・古代の書物を、古代の人の身になって読むこと。

・古代の人の言葉を、その時代に生きているつもりで聞くこと。

 

だった。この研究スタイルに、若き日の宣長はノックアウトされた。それは、どういうことか?

 宣長は、和歌に加えて「源氏物語」も大好きだった。紫式部の大ファンで、彼女を「物のあはれの妙手」と手放しで絶賛している。源氏物語とは、ご存知の通り光源氏の恋の遍歴(不倫ばっかり)を書いた小説である。和歌も恋、源氏物語も恋なのだ。宣長にとって、”恋”は一生の大問題だった。