6 『理』をめぐって

 

 ① 小林秀雄

 小林秀雄の「本居宣長(1977)」という作品を紹介したい、

 小林秀雄(1902〜1983)は、昭和を通じて活躍した文芸評論家である。文芸評論家とは、主に小説の批評を書く職業である。しかし小林は、独自の思想を語る哲学者の顔を持っていた。彼の思想が、同時代および後世に与えた影響は絶大である。昭和になんらかの形で文筆を職とした者は、一人残らず小林秀雄を読んだと思う。彼は、それくらいのスーパースターである。

 本居宣長(1730〜1801)は、日本史でチラッと名前を聞いたことがあるだろう。江戸中期に活躍した、国文学者である。彼の研究分野は、源氏物語や和歌、古事記など、古代から室町時代ころまでの書物を研究することだった。文芸評論界のスーパースター、小林秀雄は、人生最後の仕事に「本居宣長」の評論を選んだ。同時代の批評ではなく、わざわざ江戸時代に遡った。ちょっと不思議な作品である。

 それはいいとして、小林秀雄だの、本居宣長だの、これまでの話と何の関係があるのか?本居宣長が、LGBT・・・について何か語っているのか?もちろん、そうではない。彼は古典を通して、『理』について画期的な研究をしたのである。もっと詳しく述べると、

 

・『理』で説明できること

・『理』で説明できないこと

 

 この二つの領域の境目を見きわめ、とくに『理』で説明できないことを研究した。

 本居宣長は、和歌や源氏物語などを研究し、芸術(文学)の「美」について語っている。本居宣長の語る「美」の研究は、小林秀雄という評論家を通過して現代に蘇った。本居宣長の言葉は、意外にも「仮面の告白」や「ナチュラル・ウーマン」に届いているのだ。

 2024年に、小林秀雄や本居宣長を読む人は少ないだろう。だが、この二人の言葉は、私たちの生きる苦しみに到達している。私がもがき苦しむ、痛みの原因を明らかにしている。二人が見つけたものは、私たちが生きる上で、最も大事なものである。と同時に、もっとも苦しい、悲しいものでもある。「本居宣長」には、その苦しみ、悲しみをどう考えればいいか?の答えが書かれている。その答えとは、『理』を食い破る世界に存在する。

 

 ② 本居宣長・・・勉強大好き

 本居宣長は、江戸時代中期に活躍した。当時、有名な学者の一人だった。源氏物語や和歌を研究して、彼は「物のあはれ」という答えを提示している。「物のあはれ」なんて聞くと、高校時代の古文の授業みたいだ。

 本居は、一言で表せば”雑食”の勉強家だった。勉強大好き、知的好奇心のモンスターみたいな人だった。宣長は生涯を、伊勢松坂で過ごした。しかし若い時に、江戸と京都で暮らしている。この頃に彼は、あらゆる知識を片っ端から貪欲に吸収した。浄土宗に入門して仏典を学び、京都では堀景山に弟子入りして、儒学や国学を学んだ。松坂に帰っても、彼は医師として生計を立てながら独学を続けた。

 江戸時代の勉強と言えば、中国の思想を学ぶことだった。孔子の儒学、仏教哲学、先端思想の朱子学。とくに朱子学は、江戸時代を通して次第に主流思想となった。当時の日本にとって、中国は21世紀のアメリカのような存在だった。最先端、最高峰の思想は、巨大で偉大な中国が発信源だった。日本は、漢字も仏教も儒学も朱子学も、中国から輸入したのである。