14.働くことと承認されること

「生きていくためには、働かなくてはいけない」

 私たちは、この言葉をよく使う。生存するためには、過酷な労働や嫌な出来事に耐えねばならない。そんなニュアンスが込められている。私たちの常識と言ってよい考え方だが、残念ながら”間違い”である。

 生きていくだけなら、働かずに犯罪ばかりすればいい。親や恋人に働かせて、毎日寝て暮らせばいい。いっそのこと、街に出て浮浪者になればいい。残飯を漁って食いつなげばいい。

 私たちは、幸せを求める。生きる過程で、様々な”価値”を求める。幸せや価値をつかんで、人に評価されることを求める。純粋に”食って生存する”だけでは虚しい。空っぽの人生では、悲しくなる生き物なのだ。

 ”価値”=高学歴、高収入、大きな家、高い車、美しい配偶者と美しい子供、高い地位、・・・。これらを獲得すればするほど、私たちは幸せになれると考える。では、幸せとは何か?

 それは、他人(身近な人+顔の見えない世間の人)の賞賛なのである。様々な”価値”を集めるのは、賞賛を受けるための手段である。私たちは他人に、「あなたは幸せだ」と言われたくて必死に働いているのだ。決して「生きていくため」ではない。働くことは、幸せになる上で重要なポジションを占めている。

 芸能という仕事は、ステージに立つ仕事だ。観衆の前で競技する人と同じで、直接的に皮膚に感じるほど、大勢の人の賞賛を受けることができる。とくにアイドルは、自分の能力とともに容貌の美しさも肯定してもらえる。この上なく素晴らしい仕事である。

 と同時に、人の評価は「水物」だとわかる仕事でもある。一年前の人気が跡形もなく消え去ってしまう。とても移ろいやすく、残酷で厳しい世界だ。

 そんな厳しい仕事であるのに、J事務所の人気は安定している。その理由は、所属アイドルの際立った魅力と技能の高さにあるだろう。この事務所は、成功するノウハウを誰よりも知っているのだろう。

 成功と名声、沢山の人の賞賛、たくさんの報酬。幸せな仕事を得ることが、日常的なレイプ(虐待)を覆い隠してしまった。幸せな人生を送るために、とても大切なことを我慢してしまった。私たちは間違っていた。

 

15.悲しみの扱い方。

 投資の心構えを教わったことがある。それは、

 

「損失は、定期的に吐き出してしまえ」

 

 である。どんなタイプの投資でも、上がることも下がることもある。ある程度下がったとき、思い切って売却・解約をする。すると、損失額はハッキリと数字になる。良くないのは、損が発生しているのに「持ち直すかも」と保留してしまうことだ。含み損を隠してしまうことだ。

 この教えは、悲しみにも当てはまる。悲しみを吐き出すことだ。悲しいことが起こったら、自分の中で保留しないことだ。自分の中に秘めていると、悲しみ(=心の傷)は次第に大きくなっていく。だから、定期的に吐き出す必要があるのだ。

 好きな人、信頼できる人に、自分の傷の在り処(ありか)をさらけ出す。とても勇気がいることだ。でも、大丈夫。あなたの好きな人、信頼できる人は、ありったけの力を絞ってあなたを慰めてくれるから。これだけで、悲しみは半分くらいに小さくなる。

 もしも私が“この事件”を聞いたら、直ちに前社長をぶん殴る。理由は告げない。「直ちに」が大事だ。もちろん、殴って問題が解決するわけじゃない。でも話を聞いたからには、私は座っているわけにはいかないのだ。すぐに行動しなくてはいけない。現実を、動かさなくてはいけない。

 とは言っても、本気では殴らない。なぜなら、元社長だって、かつての被害者かもしれないからだ。

 

16.被害者は、未来の加害者になる。

 私は先に、戦争、軍、刑務所、学校(とくに体育部)、家庭、宗教団体などでレイプが発生すると書いた。戦争にレイプはつきものだし、軍や学校の体育会での性的いじめは陰湿だ。宗教団体では、規模の大小に関係なく、性的ないじめ・奉仕が起こる。それはなぜだろうか?

 ① 世間から隠れ、

 ② 圧倒的に優位な立場にあるとき。

 上記の二条件に、加えるべきことがある。それは、

・加害者がかつての被害者であること

 である。大学は、四年間だからわかりやすい。一二年生のときは、先輩の性的な被害者になる。三四年生のときは、後輩を襲う加害者となる。現役大学生たちは、認めらがらないだろう。けれど、私たちが人間で、性欲と弱く醜い心を持つ限り、今日も男女関係なく同性による性的いじめが行われているだろう。

 注意してほしいのだが、戦争、軍、刑務所、学校(とくに体育部)、家庭、宗教団体などで100%の人が加害者になるわけではない。加害者になる人は、一部だろう。私たちをやるせない気持ちにさせるのは、かつての被害者が加害者になることだ。このことは、虐げられた子供時代を送った人が、大人になって犯罪に手を染めることに似ている。おそらく、自分が被害者ゆえに、良心の呵責が甘くなる。縛りが緩くなる。

 

「自分もされたんだから、お前もされて仕方ないんだ」

 

 被害者が加害者になる。しかし、レイプが許されることはない。さらに、不誠実ゆえに加害者は愛されない。被害者は、表向きは従順かもしれない。けれど、決して親愛の情を見せはしない。常に怯えていて、加害者の機嫌を損ねることを恐れているはずだ。こんな関係は、加害者だって楽しくない。加害者は、孤独なままなのだ。

 前社長のもとから、多くの若者が去っていった。みんないなくなって、寂しいから新しい子どもに手を出す。その子どもたちも、やがて去っていく。その繰り返しだ。そばに残った人からも、本当の愛情を感じることはなかったろう。