アリエルは白人じゃなきゃダメだと思う。
ほんとに。
絶対に。
黒人を起用するなんて本当にとんでもない暴挙だ。
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どうせ白人じゃない人を起用するなら、他のプリンセスにすればよかったのだ。
第一期の白雪姫、シンデレラ、オーロラ。
第二期のアリエル、ベル、ジャスミン。
そのあともまあ、プリンセスのようなプリンセスじゃないようなのが何人もいるのだけど。
とにかくアリエルだけはダメだ。
白雪姫、シンデレラ、オーロラは、基本的には美しいから誰かが助けてくれてハッピー、ってお話なのだ。
ディズニーの歴史は、女性差別の歴史なのだ。
女は寝てるだけでいきなりキスされて、目が覚めたら王子様で、一目惚れしてハッピー。
だからこの初期の三人のプリンセスにはものすごい批判があった。
だから、1959年に眠れる森の美女が公開されてから、リトルマーメイドの1989年まで30年もプリンセスは生まれなかったのだ。
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プリンセスが、寝てるだけで幸せになる話はだめ。
ウーマンリブの時代なのだ。
そしてアリエルが描かれた。
海を統べるトリトンの娘。
魔女と契約して人間になって、一目惚れした王子を落としに行く話。
ほら。
プリンセスが努力してる。
アリエルはアクティブなのだ。
プリンセスが自ら幸せを掴みに行く話なのだ。
『私って傍から見たら
「The girl who has everything(すべてを持ってる女の子)」
に見えるでしょうね』
なんていいながら。
「I Want More(もっとほしい!)」
って。
貪欲なのだ。
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でもね。
だからこそ。
ディズニーは彼女に試練を与えた。
ただの美人が努力するんじゃなダメだった。
アリエルは、人間じゃない。
足がない。
いわば障がい者なのだ。
障がい者が唯一の?取り柄である歌声を犠牲にして足を手に入れ、憧れのプリンスに近づく話。
あのね。
私はこれは、決して美しい話じゃないと思う。
そんなにしてまで、人間の世界、健常者の世界、白人の王子様に憧れなきゃいけないのか。
障がい者の女の子が。
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ポリコレを考えるなら、まず王子様の方を白人以外にするべきなんだ。
憧れられる方が白人のままじゃポリコレもへったくれもない。
中国人でも黒人でもネイティブアメリカンの人でもいいけど。
それに白人女性が憧れて、声を犠牲にして足を手に入れる。
これは、ポリコレ的に美しい。
中国人の王子様に白人の女の子が憧れる話じゃ、流石に変よ。
そう思う人は多いだろう。
それがいわゆる差別だし。
黒人の女性が白人の男性に憧れて悪魔と契約するのはかまわない。
そう思うのもやっぱり差別なのさ。
差別があるから、その設定が受け入れられちゃうのだ。
白人の男性が、アジア人の女性にあこがれて悪魔と契約して声を失う話は違和感ありすぎて作れない。
でも、黒人の女性が”王子様”に憧れてアースラに声を売り渡して美しい足を手に入れるのは違和感ないってみんな思う
まだそういう時代。
白人の王子様にあこがれるアリエルを白人じゃない女性にしちゃうのは、現代社会ではまだまだいただけないのだ。
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あー。
観たいな。
ハリー・ベイリーのアリエル。
観たい観たい観たい観たい観たい…。。
あんなん、いいに決まってる。
素敵に決まってる。
かっこいいに決まってる。
見る前からわかる。
言い方は悪いけど、妥協なく最高の人を選んだからこそ彼女なのは明らかだ。
だって、上述の通り、そもそもアリエルを白人じゃない女性にするのは大きなリスクなのだ。
それを、そうしなかったからには、ポリコレ的にも完璧な、つまり、全ての女性が自らの力で未来を勝ち取っていいのだという完璧なエンパワーメントの物語に作り変えられているに違いないのだ。
美女と野獣もすごく細かいところで、すごくたくさん、そういう変更がされていた。
リトルマーメイド。
大好きなのだ。
ハリー・ベイリーが起用されたニュースを見た瞬間から見たくて見たくて仕方なかったのだ。
もう、ハリー・ベイリーのアリエルに恋してるって言ってもいい。
早く見たいけど、見た過ぎて怖くて見られない。
まあ、育児も忙しいし仕事も忙しいから映画館に行く暇はないけど。
はやくDisney+で見られるようにならないかなぁ。。