私はピアノを習っています。

 

えーとね。

 

ざっくりいうとブルグミュラー〜ソナチネくらい。

 

昔はもう少し難しいものも弾いてたけど。

 

だいぶブランクもあるし。

 

基礎からみっちり鍛え直してほしいですと先生にお願いして。

 

ここから。

 

 

 

おかげでストレスなく練習できる。

 

課題曲はいつもまあまあ難しいけど、1時間2時間くらい練習すればまあまあ弾けるようになって。

 

それからしっかり暗譜して。

 

で、間違えなくなるまで、指が動くようになるまで徹底的に練習する。

 

これを、今の課題曲と、その次の課題曲まで(できれば2曲先まで)やってから教室に行くの。

 

そうすると、先生はもう私に「指の動かし方」とか「指使い」とか「基礎的な弾き方」みたいなことを教える必要がないから、そのかわりに「この曲の意味」とか「その意味の表現の仕方」とか「そのために必要な指の使い方」とか、一歩先のレベルのことを毎回教えてくれる。

 

課題曲について一通りそれをやって。

 

言われたとおりに弾いてみて、確かに、さっきまで私が弾いてたのは「音の集合」だったけど、今は「音楽」だなって実感する。

 

いや、下手だけどさ。

 

ヘタなりに、一歩でも半歩でも音楽に近づいたってことね。

 

で、その曲はおわり。

 

もう一週、その曲を宿題にすることもあるし、あんまり面白くない曲だなってなんとなく先生も私も思ってたりすると、じゃあこの曲はもうこれでいいですね、って。

 

そういわれると、あ、やっぱり先生もこの曲は面白くないんだってわかるのがなんとなく楽しい。

 

 

 

それから、次回はこの曲やりますけど、もう譜面は読みましたか?って聞かれるんで、一応、読んできましたって言って、弾く。

 

指使いに悩む所があればここで聞く。

 

そうすると、多少次回に向けたヒントのような、曲の流れみたいなのを教えてくださって。

 

じゃあ今日はこのへんで、と。

 

 

 

私は基礎から教えてくださいってお願いしたけど、本当の楽器の基礎みたいなことは教わってない。

 

それは自分でみっちり練習してきて。

 

その次の基礎。

 

音の作り方とか、フレーズの歌い方とか、そういうことを教わってる。

 

いわば、音楽の基礎だ。

 

これだ。

 

 

よし。

 

前段が長くなりましたが。

 

いよいよ本番です。

 

 

 

学校の授業って、実は結構深いことを勉強してると思う。

 

小学校や中学校の教科書っていうのは、すごくよく考えて作られれてるし、とても素晴らしいものだ。

 

ちゃんと、その計算で何ができるのか、何を考えてそういう計算が必要なのか。

 

そういうことをちゃんと説明してくれるのが学校の授業だ。

 

なんでそうなってうかっていうと、学校っていうのはやっぱり技術を学ぶところじゃなくて、世の中のこと、世界のことを学ぶっていうのが基本的なコンセプトで、それが小学校から大学までのカリキュラムで表現されているので。

 

小学校だからって、そこは全く抜けてないのだ。

 

 

 

基礎ができてれば余裕があるから、学校の授業はそういうことを吸収する時間にできる。

 

それができてないと基礎的な計算とかの理解に時間がかかっちゃってそこまでの話に頭がついていかない。

 

いろんなレベルの子供が、それぞれのレベルに合わせて活用できるようになってるのもすばらしい。

 

その、一番高いレベルの理解を追いつかせるには、やっぱり予習が大事だ。

 

計算で困ってるようでは、やっぱりそこまでの理解はできない。

 

計算の練習に練習を積み重ねて極まった先に、本当の理解があるのだ。

 

 

 

くもんで先取り学習をするなら学校は不要なんじゃないか。

 

そう考える人もいるようなんだけど。

 

さにあらず。

 

先取り学習をしているからこそ、学校の授業が最大限価値発揮すると思う。

 

ああ、そういうことかって。

 

どこか、計算練習だけで無機的にやっていたことに、ストーリーを与えてくれるというか。

 

どっかの先生が「数学は言葉です。ケイサンじゃない」って言ってたけど。

 

私は全くそれに同感で。

 

数学っていうのは、世の中を理解するための言葉なんで。

 

だから、算数には文章題も図形もあるわけなので。

 

ただ、それを理解するためにはしっかりした計算量が必要だということ。

 

そして、それを世の中を理解するための学問に使っていってほしい。

 

 

 

ピアノで言えばハノンとかツェルニーとか。

 

基礎無しでショパンを弾いても、やっぱりフラフラしたものになってしまう。

 

そういえば私の知ってる書道の先生も「臨書をしないと字に力が出ない」って言ってたけ。

 

年号に意味はないけど、年号がわからないと同時代史や歴史のダイナミズムは理解できないし。

 

ディズニーランドに行くのにディズニー映画を見たことないんじゃやっぱりちょっと楽しさが違うだろうし

 

 

 

なんでも同じことで。

 

そして、世の中を理解するための、つまり諸学の礎となるのが算数、国語、そして英語というわけです。

 

とても大事なのです。

 

公文式生麦小前教室です。

 

 

*すべて生麦小前教室の指導者である私の個人的な考えであり、公文教育研究会や他の公文式教室の指導者とは考えが異なる可能性があります。