"効果は未知数の治療となるが、恐れはないといい「どっちみち死んじゃうんだから。うまくいかなくても別に悔いはないんですよ。いい医学データが取れるから、次の人の為になる。ぼーっと死ぬよりずっとずっといいでしょ?」と笑っていた。"
派手な宣伝の美容外科で有名な、高須クリニック院長の言葉
全身癌に冒されていて相当体調も悪いらしいので、世界初の治療法を試してみることにしたんだそう
お金もあるし、何だって試してみることができるんだろうなぁ・・・
そうまでして、生きたいんだ!そうまでして死にたくないんだ!・・・と、冷めた気持ちで読んでいたら、最後にこの言葉が出て来たのです
「この人、凄い!」と、何か、心地好いショックを感じました
ボーッと死ぬよりずっとずっといい
以前、状況は違いますが、私が思い至ったことと相共通するものを感じました
手術後に抗生物質の副作用を体験した時の記事を再録しています
日付は2016年10月3日となっていますが、この1日前のブログには、副作用の様子を記録しています
副作用も大切な治験者の役目
テーマ:気づき・感動フレーズ
昨日のブログのコメントに返信させていただいてた時に、小林麻央さんのブログの言葉が、ポーンと頭に浮かんで来たので、その言葉をもう一度確かめてリブログさせていただきます
苦しい抗がん剤に対して、
“この薬にも治験があって、
たくさんの人の
涙や苦しみ、悔しさ、
喜び、勇気、努力があったから、
私はこの薬を今、
こうして投与できるのだと
思うと、
本当に
一人で闘うのではないなと
思えました。”
・・・、私の視点が変わりました
何の視点かというと、
昨日まで、悩まされていた『薬の副作用』のことです
自分の体と合わない薬を使って、苦しい思いをして、ついてなかった…ではないのですね
あるいは、薬が合えば、こんなに苦しい思いをすることは無かったのに…無駄な経験をしてしまった…でもないのですね
(あるがまま受け入れる私は、元々そういう考えもありませんでしたけれど)
薬が世に出て役に立つようになるまでには、決して表立ってはこないけれども、名も無い大勢の方々の治験が積み重ねられてきたのですよね
勿論、より良い薬ができるまで、決してここが完成型…というわけでもないはずですから
こうして、副作用を起こす治験者(樹里庵)がまた一人現れたことも、実は目に見えない小さな小さな功績なんだな…誰かの救いの為に、役に立っているんだな…
そう考えたら、数少ない機会(手術すること)でありながら、誰かのお役に立つことができたのだから、貴重なことだったのだ…と思うと、副作用も勿論アリでした^^
それにしても、抗がん剤は、最近では随分改良されてきてるそうですが、それでも麻央さんのブログを読むと、まだまだ辛い副作用があるお薬もあるのですね
私が入院した部屋の他の3人の方は、皆、抗がん剤を投与されてる方たちだったようなのです
はじめは、皆さん、カーテンで囲った中で声を潜めていたので、どんな人なのか、どんなご病気なのかまるでわかりませんでしたが、樹里庵の術後の声も出せないくらいのヘロヘロ時期に、向こうから声を掛けてくださって、初めてお顔を見、言葉を交わした…という感じ
帽子を被ったままの人、帽子を取ってしまっている人…
帽子を取ってしまっていた年配の方が、積極的に私にも声を掛けてくださったのですが、本人は癌が再発して再入院なんだそうです
癌で有る無しも、髪の毛が有る無しも、どんな新しい抗がん剤を試す試さないにしても、この方は、常に普通に過ごしているんです
生活場所が、病院になったというだけで、いつも通りの自然体で、周りの誰をも気に掛けながら、明るく優しく包み込むようなお母さんみたいな人
髪の毛の無いキレイな形の頭のせいで、全体的に瀬戸内寂聴さんを彷彿とした方です
医者や看護師まで、彼女のベッドに集まってきては、世間話を楽しんでいくのです
私が退院直前には、彼女が看護師さんから新しい抗がん剤の説明を受けていたのですが、「ものすごく手足や口が熱くなるので、氷を用意しますからそれを触っててください」って…
ハタで聞いてた樹里庵の方が、暗雲とした気分になりましたが、彼女の方はいたって普通に淡々と明るい返事
「わかったわ変わった薬ねぇ」
癌になったからって、入院したからって、髪の毛が無くなったからって、受けるモノが違うからって、特殊な考えや感覚の人間になるわけではなく、普通なんだな…
もっと、話してみたかったな~(後半の私は、とても話など出来る状態ではなかったから)