『ミシシッピー・バーニング』──生涯ベスト3 | 山下晴代の「そして現代思想」

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そしてときどき、詩を書きます(笑)。

『ミシシッピー・バーニング』(アラン・パーカー、 1988年、原題『MISSISSIPPI BURNING』)

 

 この映画は、初めて公開されたのを観た時から、長く私の脳裏に焼き付いていた。ピーカンナッツというナッツも、この時、ハックマンが紙袋から食べていて初めて知った。以後、ピーカンナッツを見るたびにこの映画を思い出した。中古DVDを入手したので再見した。思った以上に美しい映画だった。あの当時は、ハックマンに目がいっていたが、共演のウィレム・デフォーの美しさに心打たれた。ブロンドで七三に分けた短髪、眼鏡の、FBIのキャリア捜査官である。一方、ハックマンは、保安官からのたたき上げである。二人とも、人間的な悪を憎んでいる。しかし、考え方もやり方も対照的な二人がコンビを組み、ミシシッピーの、公民権運動家三人の失踪事件の調査に乗り込んでくる。当時、ハックマンは58歳、デフォーは33歳で、親子ぐらいの年齢差である。エリートのデフォーが上司である。一筋縄ではいかない土地の偏見の壁に、ついに、デフォーは、ハックマンの荒っぽいやり方に従う。

 事実をもとにしたというより、もとにしないことには、こうした映画は始まらないだろう。「歴史」を創作してみてもしかたがない。1960年代のアメリカの南部の、公民権運動に関する映画は、最近作も含め数々あるが、本作は、シェークスピアの国の、アラン・パーカーが監督している。ゆえに、ドラマ展開と台詞が見事である(脚本は彼ではないが)。これは、アングラ演劇で鍛えたデフォー、スタニスラフスキー・システムのハックマン、それに、KKKの保安官補の妻だが、善人のフランセス・マクドーマンド(清楚で美しい(笑))の、キャリアと才能をもって、はじめて実現したカタルシスを感じさせてくれる物語である。歴史を語り、事件をえぐり、人の心の琴線に触れる。そして、題名のように、ミシシッピーの黒人の家々に火が放たれ、それが燃えるのが、不謹慎であるが、いや、それを超えて、オレンジ色に輝いて美しいのである。地元では捜査さえされない事件に、なぜFBIが乗り込んだのかといえば、公民権法というものが、一方では、がんとした法律として成り立っていて、結局、事件に関わったKKKの一味は、懲役3年から10年の判決を受けている。アメリカの政治制度は、三権分立がきっちり独立するように設定されている。そこに、FBIの主役の二人の勇士が保証される。

 しかしながら、アカデミー賞は、マクドーマンドが助演女優賞にノミネートされたものの、撮影賞しか取れなかった。1988年も、まだまだの時代だった。