【プルースト・ノート】①「スワン家の方へ」の拙訳とメモ」 | 山下晴代の「そして現代思想」

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そしてときどき、詩を書きます(笑)。

【プルースト・ノート】①「スワン家の方へ」の拙訳とメモ」

 

Du côté de chez Swann

Proust

 

Longtemps, je me suis couché de bonne heure. Parfois, à peine ma bougie éteinte, mes yeux se fermaient si vite que je n'avais pas le temps de me dire : ≪Je m'endors .≫ Et, une demi-heure après, la pensée qu'il était temps de chercher le sommeil m'éveillait ; je voulais poser le volume que je croyais avoir encore dans les mains et souffler ma lumière ; je n'avais pas cessé en dormant de faire des réflexions sur ce que je venais de lire, il me semblait que j'étais moi-même ce dont parlait l'ouvrage : une église, un quatuor, la rivalité de François 1er et de Charle Quint.


 

長いあいだ、私は早い時間に床に就いていた。ときおり、ロウソクが消えるやいなや、私の眼は、「自分は眠るんだ」と思う時間もないほど早く閉じてしまっていた。そして、三十分もすると、寝にいく時間だという考えが目覚め、私は手にしていると思い込んでいる本を置き、明かりを消そうと思う、眠りながら、今し方読んだばかりのものに関する思考を止めることができない、まるで自分自身が本のなかで語られたものじたいになっているかのようだ、すなわち、教会とか四重奏曲、フランソワ一世とシャルル・カンの敵対関係そのものに。


 

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【メモ】冒頭であるが、冒頭というのは、じっくり分析すべきである。とかく、ストーリーばかりを追った訳では、すっ飛ばされる箇所であるが。とくに、プルーストのこの冒頭は、眠っていく自分の中で「目覚める」ものがある、という言葉遊びもあり、すでにして、かなり複雑な世界を提示している。

 自分自身が「語られるもの」自体になるという感覚も特異なものである。意識が眠りに落ちていく「瞬間」をできるかぎり引き延ばしつつ観察している。それは意識の時間のプレゼンタションである。