『恋する原発 』(高橋源一郎著、講談社、2011年11月刊)
震災とアダルト・ヴィデオを結びつけることで、巷では、「不謹慎」などと、「話題沸騰」のせいで、掲載雑誌『群像』は、「完売御礼」となったそうであるが、皮肉にも、こういう時代であるから、なにもかも疑ってみる必要がある。果たして、「不謹慎」なる批判や、「話題沸騰」の状況、「完売御礼」の事態はどこから出てきたか? まあ、ありていにいってしまえば、書き手、売り手サイドから出てきたのではないですか?
感心する点は、近松門左衛門の例を出すまでもなく、世間の事件をすぐに作品化してしまう根性である。そういう氏の態度にはいつも励まされるところがある。しかし、作品を読むかぎり、それだけであるような気もする。前作の、「お伽草子」(『新潮』2011年6月号)も、核時代のシェルターを題材にしたものであったが、果たして、120枚も必要だったのだろうか、というような内容であった。
本作は、それよりさらに長い、380枚であるが、氏の多くの作品と同じように、水増し感が否めない。氏がモデルとしていると思われる、外国の、とくにアメリカのポストモダンの作家、ドナルド・バーセルミなどと比べると、いかにも日本的な、思想的体力のなさを、饒舌なおしゃべりの水増しでごまかしている感じがする。しかも氏の場合、さらにいけないのは、作品を閉じるにあたって、安っぽい感傷に収斂させてしまうことである。
ただ、このようなとんでもない設定であっても、最後まで、同じ文体、物語の場を維持し、破綻していないのは、とりあえず、プロの仕事ではある。
恋する原発/高橋 源一郎
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