親の『役目』とはなんぞや? | 素顔のまんま〜ダメな自分でいいじゃないか〜

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ネクラで
不満だらけだった日常が
ストレスフリーで
面白がれる
毎日に変わる
人はいつからでも
変われるんだと
気づくまでと
気づいた後の
出来事を綴りました



こんばんは😃


「資格わたし」のカウンセラー
田上久美子ですキョロキョロ



🌈『資格わたし』とは…
世の中で、これしていいよ!と
許可を与えられること…それが「資格」
わたし自身が1番にわたし自身に
いいよ!と許可を与える…
それが『資格わたし』
みなさんが、自分自身に
たくさんのいいよ!を与えられるよう
お手伝いするのが「わたし」のお仕事です🌈




🍀みなさん
親の『役目』って
なんだと思いますか?



・食事など身の回りのお世話をし
・教育など最低限の生活を保証し
・人権など脅かさせることのないよう守る





まぁここら辺は
憲法上とか法律上のことになるので
大切なことではありますが
あまりにも硬っ苦しいので横に置いておいて
今回は
子供を産んで
育てることになった
イチ親として…
つい考えてしまう『役目』について
書いてみますね





何度も言いますが
上に書いた3つなどは
とても大切なことです





でも、日々生活している中で
わたしもそうだから、と
同じ道を
わたしみたいにならないように!と違う道を
用意してあげること…
を親の役目だと思ってませんか?





たしかに親は
子供のことが大切な存在で心配だからこそ
子供が将来困らないように
子供が将来迷わないように
ここから外れないように!と
無意識に何本も道標を置いたり
レールを敷いてあげたくなりますよね





「わたし」自身も過去
親が良いというもの
親が良くないというものを信じ
こちらも無意識のうちに
レールの上を歩いていました




でも、それが
長年にわたって続くと
それがあまりにも当たり前になってしまって
常に
これは親が褒めてくれるだろうか?
これは親が反対するんじゃないか?
これは親がなんと言うだろう?
口に出して聞くことも多かったですし
口に出せないことは腹ん中でずっと
考えていました





つまり
何かをするしないに関わらず
親に聞いてから…という
無意識の呪縛みたいなものに
なっていたんですね





自分が年齢を重ね大人になっても
子供を産んで親になっても
その無意識レベルの呪縛は続き
自分の子供たちにも同じように
わたしはこうだった、と
同じ道を
わたしのようにならないように、と違う道を
せっせせっせと用意してあげていました




その結果
子供たちは思春期や反抗期を迎えるまでは
ずっと「わたし」にお伺いを立てて
進むべき道や
進んではいけない道を
決めていたように思います





そして
用意してあったレールを外れてしまうと
お互いに
なんで外れてしまったんだろう?と
お互いを責めたり自分を責めたりで
喧嘩になることも多くなりましたし
今度こそ外れないように!と
さらに強固なレールを敷いて
それに沿うよう沿うよう
我慢や努力を重ねていくことになり
お互いに毎日をしかめっ面で過ごすことも
多くなっていたように思います






あーしんど😰


「わたし」が
心のことを学ぶようになって
わたしもこうだった、と同じ道を
わたしのようにならないように、と違う道を
どちらの道を進ませようとしたとしても
それ自体が
お互いを縛る呪縛だった…
気づいた時に
心の底から漏れてきた言葉でした






あーしんど😰


そこから
子供たちの『前』に道を用意することをやめ
子供たちが道なき道を進もうとする時
いつ道を外れても
いつ後退りしたくなっても
いつすっ転びそうになっても
大丈夫👌と両手を広げ
子供たちの『後ろ』…背中を支えて
時に押してあげるくらいにしたら
子供たちは
失敗しながらも迷いながらも
自分の足で自分の道を
進み始めたように思います




親の『役目』って
先頭きって子供の前を歩くことではなく
子供の前に道を作ってやることでもなく
道なき道を行く子供たちの背中を支える
黒子なのかもしれませんね
そしてその黒子が暖かく笑っていたら
子供たちは
より安心して背中を預けられて
より力強く道なき道を進んでいけるのかも
しれないですね






子供の人生は子供が主役です✨
親はあくまでも脇役&裏方に
徹していきましょ



そして
親のあなたの人生の主役は
『あなた自身』です
あなたの進みたい道を
自分で選び進んでいけると
いいですね





ではでは
また書きまーす