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私の誕生日だった日に起こったことです。



これまでにはなく、自分の誕生日を

とても楽しみにしていて。

どんな風に過ごそうかしばらく前から考えて

いました。夜の家事が終わったら、あるものを

製作しようと思ったので、必要な物を買いに行く

予定にしました。

私にとっては、買い物そのものも大事なことだった

のですが。。。

 

 

途中までは予定通りで、よかったのです。

氏神様へ無事誕生日を迎えられたことと、

上の子の進学先が無事に決まったことのお礼と

日頃の感謝を伝えるために、お参りに行って。

 

 

その後、よりによって、楽しみにしていた買い物を

しに行ったお店ですごく嫌な経験をしてしまいました。結局欲しいものは買って帰ったのですが。。。

夜になっても結局楽しく製作するような気分には

なれなませんでした。

 

 

帰ってからは、用意していた自分の食べたいものを

お昼に食べて、その後は自己対話です。

嫌な経験に対する怒りだけではなく、

いろんなことが出てきました。

自分にとって大切なのは信頼感や安心感。

不信感や嫌悪感、違和感など、最初になんとなく

感じた「勘」のようなものを、信じたほうがいいんじゃないか。。。

 

 

お風呂に入って、やっと怒りを感じることが

できました。

その怒りの奥で自分は、私が楽しみにしていた

大切な誕生日が台無しになったように感じて

いたのです。

楽しみにしていた分、悲しかったのかな。

 

 

その後、下の子が「お母さんの誕生日、

もうすぐ終わるね」と言ったことから会話が始まり、流れから嫌な経験のことを話したのですが、、、

「うん、うん」とただ話を聞いてくれて、

「感じ悪かったの?」と。

 

 

話の後、またそれぞれの部屋に分かれましたが、

私はなぜだか涙が止まらなくなってしまいました。

色鉛筆を持ってカラーダイアリーを塗って、マンダラ塗り絵も塗り続けました。

塗っている間も涙が止まらず。

でも、泣いている感覚とも違う?

不思議な感覚でした。

感情を感じている時間、だったのかな。




おかげでかなり塗れました^ ^

 


 

しばらくたって今思うのは、私にとって

自分の内側で起こることや変化、経験はすべて

学びの対象だということです。

実験というのも違うかもしれませんが、なんと言ったらいいのか、、、

誰かのお話を聞くときに、活きる気がするのです。

 

 

今これを書きながら、メソメソしてるという言葉が

思い浮かびました。

もしかしたら、その昔

「いつまでもメソメソしなさんな」

みたいなことを言われたかもしれませんね。

でも、泣きたいときは泣いていいのです。

誰だって、大人になっても、です。

 

 

ここまでくると、嫌な経験のことはどうでも

よくなってます。

一つの出来事としてまだ記憶には残っていますし、

2度とあのお店には行かないという決意は

変わりませんが(・・;)

どこで、誰に自分のお金を払って何かを買うのか、

交換する相手を選ぶことは、私にとって

重要だったんだな、と改めて思いました。

自分にとって大事なのは「信頼感と安心感」

自分の直感や抱いた印象を流さないで、

受け取ろう。。。

 

 

私の誕生日に起こった嫌な事件を、学びの機会に

変えてくれた息子の聴く力にも感謝です。

話をちゃんと聞いてもらうと、感情をそのまま感じることができるんだ、と私が色育を通して学んでいる

傾聴の効果を身をもって実感することができました。



結局はいい日だったということなのかな🌈




わたしもいつもみんなのお話し、聞いてるんだよー