『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』
感想
主人公はスラム街育ちの天才青年ウィル君。最初はその才能で成り上がる、サブカルチャーでよくある“なろう系”の作品だと思っていましたが、この映画の主軸は“愛情”にありました。主人公は安定した会社に就職するのではなく、最終的に愛情を選びます。
洋画を見るのは数年ぶりなので、最初の30分はよく分からないまま時間がすぎていきました。例えば、今の子供に『銀河鉄道999』を見せても、画面のアスペクト比、セル画、構成の違いに戸惑うことでしょう。それです。
主人公のウィル君は最初の1時間40分くらい終始逆張り言動を繰り返します。見ていて若干イライラしましたが、何となく気持ちは分かります。
この映画の見どころは最後の20分くらいにあります。心理学者のおぢさんがウィルに「君は悪くない」と何度も声をかけるとウィルは号泣。アツい抱擁を交わし、人生を前に進める決断をします。
さて、私見ですが僕はこの心理学者のおぢさんが結構好きです。カウンセリングは普通「傾聴」というスキルを使います。僕は何度も教職課程だの心理学の授業だので演習したのですが、正直言って好きじゃありません。「対話」じゃないからです。問題解決にならないのです。
おぢさんは終始ウィルとの対話を試みます。素敵ですね。
「君は悪くない」というセリフも、印象に残っています。昔読んだ法学の本で、「責任を個人に負わせることは不可能」と書かれていて衝撃を受けた記憶があります。どういうことかというと、個人が起こした結果に対して外的な要因を排除仕切れない(脳のシナプスと言動との因果関係が最終的には誰も証明できない的なことが書いてありました)ということです。
スラム街で虐待を受けて育ったウィル。僕が同じ環境で育ったら、彼みたいに悪友すら作れず社会に憎悪を向け、新聞に乗るような事件を起こしていたかもしれません。
PL法がモノに適用されるのに、ニンゲンには適用されず、個人だけが罰せられるのは、それは「教育」という概念そのものの否定に繋がります。京アニ事件を例に出すと、被疑者を虐待した父や彼をいじめていた同級生、統合失調症の病状など外部要因はいくらでもあるのです。
ラディカルな考え方かもしれませんが、突き詰めて考えれば一個人が責任を負うことなど不可能です。だからこそ、社会における妥協点として、教師や親が割に合わない責任を持って子どもを正しく教育する必要があると考えています。
その他の感想、は特にないです。ウィルがもしも、例えばワイオミング州の僻地に生まれていたらどうなっていたのか気になります。彼はどこから教養を摂取していたのでしょうか。