日本経済新聞社(以下日経)は、世界で初めてコンピュータを用いた新聞製作システムを採用した新聞社である。日本経済新聞はその前身を「中外物価新報」といい、1876年12月2日に発刊した。全国紙としては、毎日・朝日・読売が3大誌として存在しており、日経は中規模の新聞社であった。日経は100年以上に及ぶ歴史の中で、どこより先にコンピュータを導入するという、経営上、大きな賭けになる意思決定を行った。



 本書は、ノンフィクション小説であり、数人のプロジェクトに関わった人間や他の新聞社の流れを通して、日経がどのようにコンピュータを導入していったかを記している。



 今回は、日経のコンピュータ導入の流れを概観することで、どのように情報を商品化していったかを見ていきたい。





 まず、コンピュータ以前の新聞の技術を簡単に見ていきたいと思う。




・活字による出版

  昭和30(1955)年代以前には主流に使われていた方法である。文選工と呼ばれる、言わば職人が、文字が彫られている鉛の棒(活字)を拾い、植字工がレイアウトしていく。これを厚紙に押し付け、鉛を流し込むと、輪転機に取り付ける鉛版ができる。このように、人に頼りきった印刷方法である。活字の具合はカンや経験で判断するため、長年のキャリアが重要視される、文字通り職人の世界だった。




・テープ式自動モノタイプ

  昭和30年代は、工場のオートメーション化が進む時代だった。その時代に急速に新聞界に入ってきたのがこの全自動モノタイプである。モノタイプとは、活字を一々手で拾うかわりに、まるごと自動で活字にしてしまうものである。

  改善が進む中で、カードやテープに文字・数字を表す穴を開け、それを機械に読み取らせるものが生まれてくる。この全自動タイプのもので、手作業と比べて、作業時間は3分の1になっていた。




・ファクシミリによる送稿

  朝日新聞が北海道進出の際に用いた方式である。新聞1ページ分のフィルムをデータとして電信線を使って送り、受け手で現像する。写真を現像するのと同じ要領で、金属板に焼き付けると、輪転機にセット可能なものになる。変更が効かないことや、瞬断と呼ばれるデータの送信時に起こるラグによる白スジが入るなど問題点も多かった。後に読売が改良を行って、これらの問題は改善される。



 このように、少しずつではあったが、技術革新は進んでいったように見えるが、この時代にはコンピュータの活用など、到底考えられないことが伺える。