北ドイツの旅・Hannover その2 | kuminのドイツ生活日記 

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ドイツ生活19年目に突入しました。
デュッセルドルフでの生活のあれこれを記録しています♪

Hannover(ハノーファー)に来た初日、
電車での移動と王宮庭園の散歩で疲れてしまい、"今夜は早めに寝よう"と寝るのを楽しみにしていた私。
…が、その希望がすぐに断たれることに(涙)

 

ホテルでの休憩中、いきなり部屋の電話が鳴りました。
取ってみると、誰かが英語で話してる?!
英語が分からない私でさえ"おかしな英語じゃない?!"と思い、てっきり間違い電話だと思ったら受付からでした(外国人だからと英語をわざわざ使ってくれたようだったけれど… あまり上手じゃなかったのかなぁ 苦笑)
「話したいことがあるのですぐにレセプションまで来てください」とのこと。

 

 

旦那さんと一緒に降りていくと
→「Hannoverの街中で、第二次世界大戦中の不発弾が発見されました。
撤去作業をするので今日22時から明朝3時まで、ココ一帯に避難勧告が出されることになりました。ホテルにもいられないので避難してもらうことになります」
と。
は?爆弾??

 

 

状況がしっかりと把握できていたわけではないけれど、
最初に出た言葉が →「ココにいられないなら宿泊代、戻ってくるんですか?」
受付の女性に「それはできません。ホテルの責任ではないので…」と言われて私はガッカリ、
旦那さんは"こんな状況で最初にする質問がそれって"と感心(あきれて?)していました。
でも… 宿泊代が戻ってくるなら避難するよりも別のホテルに泊まりたかったよ(涙)

 

 

女性の説明では、
ホテルのある地域の避難場所は、中央駅から南西にある専門学校(Fachschule)。22時から3時まで。
避難勧告が解除されるまでそこで待機し、解除されたら戻ってきていいと、避難場所の記された地図と電車の路線図を渡されました。
"私の睡眠が~ 号泣"

 

 

 

どんなに落ち込んでも避難は避難。
"コレも一生に一度の経験"と(信じて&願って)、旅の思い出の一つにしよう。

 

 

 

ということで、夜ご飯を食べに街に行きがてら避難することにしました。
夜ご飯をゆっくりと食べてから避難場所となっていたFachschuleへ。
驚いたのが、ボランティアの人たち。
若い人からお父さん世代まで、本当にたくさんの人たちがボランティアに来ていました。

 

 

夜食の準備、飲み物の配布、簡易ベッドの設置 etc
ただ歩いているだけで、「どうしましたか?」と声を掛けてくれるんです。
ドイツの人たちってすごいなぁ、と感心することしかできませんでした。

 

 

教室に簡易ベッドが準備されてそこで休みました。
イメージ 1

けれど… 一睡もすることできず(私なんて…どこでも寝られるのが取り柄だと思ってたのに 苦笑)
3時ごろに旦那さんと夜食をいただきました。
Nudelsuppe(パスタ入りスープ)と名付けられていましたが、のびてふやけたパスタが消化しやすそうで胃に優しい?! マギー味の温かいスープ、コレもいい経験でした。

 

 

4時近くになってようやく避難勧告解除~!
専門学校から臨時バスが運行され、駅方面へと乗せてもらえました。
バスの行き先に『Evakuierung・避難』と表示されるなんてレアものかも?!
イメージ 2

ホテルに戻ってようやく、ゆっくりと寝ることができました。
過ぎてみればいい経験だったけれど。。。旅行中には避けたい出来事でした(苦笑)

 

 

ちなみに、発見された不発弾は無事に処理されたそうです。
翌朝、Hannoverのローカルテレビではトップ3のニュースになっていました☆
"Hannover中心街の住民9000人が避難"したとのこと、
たまたま滞在した先で、その9000人の4人になるなんて、、、ある意味"大当たり"。何はともあれ、何事もなく済んで良かったです。