さてさて、こちらの途中経過です。

私、まだ一番風呂に入っています!

わーい🙌

そしたら夕方以降のイライラが激減しました。

いつも、変化のタネは、え、こんなちっちゃなこと?って思うようなこと。

でもそれをヒントに手繰り寄せて行く感じなんですよね。

ママはお風呂に入れないとイライラしちゃうんだよ、反対にお風呂にちゃんとした時間に入れれば大体のことは大丈夫なんだ、と子どもにカミングアウトしたら、息子がお風呂を入れてくれるようになりました。

もちろん私が無理なくできる時はするんですけど、晩御飯の用意が遅くなったりして立て込んでる時は、ママの体ってひとつしかないのでご飯の用意かお風呂かどっちかしかできないけどどっちがいい?と聞くと、黙って入れてくれるようになりました。

私は息子が入れてくれたお風呂にわーい🙌って入って、そのあともちろん、めちゃくちゃお礼を言います。

本当にありがたいから。

息子は、うんうん当たり前って顔をしています。

これって、何に似てるか?って思うと、主人と私の関係性にとても似ているんですよね。

正直になんでも話すし、無理な時は無理と言える。

愛情とできることは、比例しないときもあります。

これって、子ども時代子どもを子どもらしくいさせてあげる、ということを信条とする教育者には眉をひそめられてしまうのかな?

息子を、自分の夫扱いしてるってことになってしまうのかな?私の方がかなり精神年齢幼い感じだけど良いのかな?と頭をよぎることもあります。

これって、新たなヤングケアラー?とかあせる

正直わからないんですけど、たくさん研究が重ねられてきた教育や心理学の分野全ての角度からOKをもらうことは現実的には難しいのではないか、こちらが立てばあちらが立たずなのではないか、と思うのと、たくさん歴史がある研究の文献をあたりまくれば、どこから見ても私の子育てが正しいとする理論武装はできるように思うけど、そのことに果たして何らかの意味があるのだろうか?とも思うんです。

不安だったから、たくさん教育書を当たって来たのかもしれません。

目の前の子どもとしっかり心が繋がっている感触があれば、その感覚だけを信じられたけれど、私は正直そうではなかったので、たくさん本を読んだりしてきたような気がします。

だって、今のこのフラットな関係がとても楽ですし、子どももとても幸せそうだなと思うからです。

私は、中村江里子さんが好きで、なぜかというと、とても家族の仲が良いことが伝わってくるからなのですが、かなり昔読んだ何かのインタビューで、結局迷うことになるから子育て教育関係の情報はいっさい見ない、その時間があるなら目の前の子どもを見ることに使う、と書いてあって、私は嘘でしょー、子育てなんてしたことないことだし、やり直しができないことなんだし、子どもとはいえ他人の人生だし、そこに何か粗相があっては申し訳ないあせるあせるあせる

一旦は基礎知識を入れないと不安だよ、私にはそんなことは絶対無理だなぁあせる、と思ったのですが、今になると、そこまで言い切れる覚悟ってすごいなと思います。

自分の感覚を信じて言い訳一切なし、ということだから。

そこまで腹を括っていれば、多少足りないことがあっても子どもは不満にならずに納得するのではないか、と思ったりもします。




ママなんだから立派に子どもの模範にならないといけないとか、ママなんだから責任を果たさないと、とかそういう気持ちでいることで、反対に子どもに正直な自分の姿を見せられなくて、無理なことを無理と言えなくて、辛い時に辛いと言えなくて、大変だからいつもトゲトゲしてしまって、子どもに正直にいられなくなって、子どもも親に正直な姿を見せられなくなって、お互いに本心を言えなくなくなっていつのまにか心が離れて行ってしまうなら、私はその方がどこかの教育者にあなたの子育て間違ってますと言われることよりよっぽどやりきれないよなぁと今になると思うのも、やっぱり正直にいた方が子どもとの良い関係を築けるなぁと最近感じているからからもしれません。




前よりさらに子どもたちに自分の気持ちを正直に言うようになってから、

息子は私がいばってるとママそんなにすごかった?と言ってくるようになりました。

(私はもちろん、うん、ママって理由はないけどとにかくすごいの!と言い返しています。親子逆転現象ですね)

それから、息子の学校、毎日あまり関係ないメールが届くので(ブックストア休みだよとか、インドの行事とか、モディ首相がこう言ってたよとか)もう毎日チェックしなくなってしまったので、息子の面談の予約とかも忘れてしまうのですが、そういうことがあっても、私にイライラしなくなりました。

本当に手がかかりません。

私にあまり期待しなくなったというか、そんな感じがあって、なんかこれはこれで子育てを促進?したような感じがします。

これはこのままにしておけば、どんどん自立が進んで、自分の人生をぐんぐん歩いて行くようになるものなのでしょうか。

良かったのかな、分かりませんが、とりあえずこんなこところに流れつき来ました。

初めは私の幼稚な心の声を子どもに言うなんて抵抗あるわー、バカにされるだろうなぁあせるがっかりさせるかもしれないなぁあせる40過ぎてこんなに子どもと同じレベルのこと考えてるなんて超恥ずかしい🫣と思ったのですが、姉の病気というとても気持ちを隠しきれない出来事があってから、子どもを不安にさせるかもしれないけどもう隠すのなんて無理と、えいやって全部言うようになったら、なんかその方が平和でした。




そうだあと、突然思い出したように、

ママ、いいんだよ、僕が生きていてくれて嬉しいでしょ、と言われるようになりました。

初めはなんだ?と思いましたが、

たしかにそうだなぁと思うので、うんそれは本当にそうだね!と返していたら、言わなくなりました。

なんでしょうかね、こんなことも何か、後になって思い返すことがあれば、意味があるような気もします。




娘の方はまだ3年生なのでそこまで行かないんですけど、なんだか急に大人びてきたような、、、

表情とか、読む本もそうですし。(エッセイなどは、私と同じものを読みます。どこまで分かっているのだろう?と思いますが、どうなんでしょうか)

でもこちらは、お兄ちゃんと同じにならないといけないとプレッシャーを与えたくないので、主人とともにもうしばらくは、分かりやすく甘やかしていきたいと思います。





そんな感じで、引き続き、実践と観察を続けて行きたいと思います。





娘とは花子とアンを引き続き観ています。

白蓮が家のために鉄鋼王と結婚したり、その思うようにならない結婚生活など、3年生に分かるのかなぁ?

このまま観続けて良いものやら、と思っています。

私からあまり、続きを観よう!と言わないようにしています。





夜は引き続きみんなでマダムセクレタリーを、晩御飯のあとに一本観ています。