またまた備忘録です。


3つほど前のブログに、
小3娘と話していると脳疲労がすごいです、と書きました。
親としての建前と本音があって、どちらで話すとか、どちらかを選択した場合のフォローとか考えるてるからだと。
その日の夜、息子にその話をしてみました。
思い返すと、息子とは、いまは全く疲れないですが、5年生くらいまでは、めちゃくちゃ疲れてたんですキョロキョロ
娘と同じ理由で。
喉元すぎて、忘れてましたチュー
いまの息子との間には、建前と本音の共通認識があると思っています。
実際そんな話も、日々の日常で出ます。
考えてみれば、息子より娘の発達が早いから戸惑ってるだけで、息子ともこれまで学校生活や友達関係でつまづくたびに、そんな話をたくさん積み重ねてきてたんだなと思いました。
話すときに、常に気をつけてきたのは、建前=悪いことじゃないってことを伝えるところです。
建前って相手を思いやることだったり、すぐに結論を急がないで関係性に余裕を持たせることだったり、人間関係の潤滑剤的なものだと理解しているので、そんなふうに伝えてきましたし、息子もいまそのように理解してると思います。
反対に本音をぶつけるときには、できれば冒頭にひとこと断りを入れること。
前置きすることもできないほど切羽詰まっているなら、せめてあとでフォローはすること。
関係性にヒビを入れないで、素直な気持ちを伝えることは基本的に可能だというスタンスです。



で、息子にそろそろ娘とも話そうと思うけどどう思う?まだ難しい?と聞いてみたら、こういった話をいまの娘なら理解するんじゃない?と。デメリットは特にないと思うよ、とのことでした。
反対に主人は、全部は理解できない可能性もあるので、機会を見た方が良いのでは、とのことでした。
まだ素直に大人の言うことを信じる時期だから、そんなに急がなくても良いのでは?と。
反対のふたりの意見を聞いて、私としてはじゃあどちらでもいいんだなと、理解しました。
疲れるから長期的にはなんとかしたいけど、今すぐでないと絶対無理というほどでもなかったので、自然に話せそうな機会が来たら、話すか、みたいな感じで行くことにしました。



そしたら夜、寝る前の読み聞かせのときに、娘が、
齋藤孝さんの、「家族はチームだ、もっと会話しろ」という本を持ってきたんです。
ここに、いわば親のトリセツ的なものが書かれているのですが、そこから自然と会話が始まりました。



私)ねーねー、建前と、本音って知ってる?
娘)うん!知ってるよー
私)そうなの?すごい!じゃあどんなことか説明できる?
娘)うーん、説明は難しいけど、例えば、ほんとうはこうだけど、それはそのままは言わないで別の言い方にしたりとか。
私)そだね!じゃあその理由は分かる?
娘)うん、そのまま言うと、相手が傷ついちゃったりとか。そういうとき。あとは、こうじゃないとって思ってる人が言うような感じで。
私)おぉー、すごい、なんか感覚掴んでるね。こういうことって普段の生活の中である?
娘)うん、すぐに(例えは)言えないけど、あるよ。
私)そかそか、じゃあさ、もうひとつ聞くよ。
いまのママ、〇〇(娘)と話してるとすごい疲れちゃうんだよーなんでか分かる?
娘)それは、〇〇(娘)がばかだから?
私)おぉー、これはさすがにわからなかったかー難しいよね。でも残念だけどこれはハズレ。〇〇(娘)は全然ばかじゃないよ、むしろ賢い。じゃあそれなのになんでママが疲れちゃうか分かる?
娘)うーん、わかんない。
私)それは親だからさ、子どもに対して建前と本音があるからなんだよー
人間同士としては、本音でぜんぶ言いたい!でも親としては、いま別のこと言わないとだめなんじゃないかとか思っちゃって、頭がパンパンになっちゃうの。
娘)〈びっくりしてて、なるほど、みたいな顔してる〉
私)じゃあもうひとつ聞くけど、どうして親は本音だけにしないの?その方が楽なのに?
娘)それは、子どものことを守りたいから。
私)すごいね!なんでそう思う?
娘)うーん、うまく言えない。
私)例えばさ、〇〇(娘)が喧嘩して泣いて帰ってきたとする。そしたら、ママは本当は相手の子になんだよーーって思うの、大人気ないけど。ママって子どもだからさ。でもその子やだねーと一緒に言ってしまったら、〇〇(娘)のなかで、相手の子の良さに気づいたりとか、苦手な子との付き合い方を学ぶチャンスを逃してしまうかもしれない。
娘)あー、なるほど。そしたら、相手の子はなんでそういうことしたと思う?どんな気持ちだったかな?とか聞いてきたりとか。
私)そうそう。そんな感じで、本音とは別に、親としてはいまこう伝えた方がいいかなみたいなことも両方が同時にあってさ、ただの会話なのにどっちにすべきかとか考えちゃってさ、脳みそが疲れちゃうんだよね。
娘)なるほどなるほど。
私)でさ、ここまではどの親も多かれ少なかれそうだと思うんだけど、これの問題点てのがあってさ。それをシェアしていい?
娘)いいよ。
私)私のママも、そういう感じだったのよ。だから、本音はこうだけど、私のことを考えて別のことを言ってくれたりするんだけどさ、そうすると、元気でバリバリ模範を示すよというときと、もう無理って本音しか言えないときが混じっちゃって、子どもから見るとめっちゃ気分屋に見えるんだよねー、本当は頑張ってるだけなのに。
娘)分かるー😂気分屋だと思ってた!
私)あ、やっぱり?だよねー、そう思うよねぇ?ごめんねーー
娘)笑
私)まぁそんな感じだったんだけどさ、ここまで話分かってるなら、これからは本音ではこうだけど、建前だとこうだよ、みたいな言い方に変えてもいい?混乱するかしら?ま、してそうならまた考えようか。
娘)うん、いいよー笑 


こんな感じでした。
あとは例えば、小学校受験の時の面接の練習のときに話が飛んで、お母さんのお料理で何が好きですか、と聞かれて、卵かけご飯です、と答えた子に、先生がそこはオムライスにしておこうか、と言ってたよね、あれはそう言わないと合格しないからだったんだよね、みたいな話も出てきたりしていました。
それから、シンスタンダード、という本を、息子と私が読んでいたところ、娘も読んだのですが、同じような話がたくさんあるよね、と言っていました。
鋭いキョロキョロ
子どもって、言葉にできないだけで本当にいろいろわかってるんだな、すっごい賢いんだなと、こちらの背筋が伸びるような、そんな感じがしました。



私としては、日本人的と言われるかもしれないけれど、建前と本音、どちらにも良さがあるから、その時々で使い分けて、自分にも人にも気持ちよく生きていって欲しいなぁ、と思うんですよね。
いずれにしても、自分の気持ちや願いを理解することが第一で、そのうえにこう言った技術的なものを身につけていってくれたらいいなと思ってます。



そして、私すごく不思議なんですが、
この話をしてまた娘とか距離が近くなった気がしました!
本音を話せて心が通じると、その人ともう一度出会い直したような感じがするんです。
親子でも同じです。
この感覚、毎回面白いなーって思ってます。



沖縄で、娘が見つけたハートのタイル🫶