そろそろ期末。
我が家は、アメリカ本国の株式の収入もあり、色々複雑な計算が必要なため、万が一にでも間違いがあっては大変なので、毎年税理士さんにお願いしています。
その手続きのために、源泉徴収票をもらってきてねと主人に話したら、机の上にポンと置いてありました。
一緒に申告する保険やら何やらの書類も揃ったので、じゃあ税理士さんに送ろうかなと思ってふと源泉徴収票を見ると、お給料が5年前の2倍になっていてびっくりしましたキョロキョロキョロキョロキョロキョロキョロキョロ





私はあまり、主人のお給料の金額は見ないのです。
お給料とは主人の仕事の評価ですが、評価は会社がするものだし、こういうものは本人が頑張ったらその分上がって、頑張らないと下がるってものでもありません。
何か大きく変わることがあれば、主人が言ってくれるなと思っているのと、もちろん関心がないわけではないけれど、市況もあるし、それ以外にも本当にさまざまに、純粋に本人以外の要素が関係してくることがあるので、そこに一喜一憂することにあまり意味を感じないというのもあります。
それよりも主人が普段どんな気持ちでどんな状態でいるのかってことの方が大切だと思っていて、そこを整えることに関して私ができることはなにかってことだけが、唯一私が関われるところで、かつ、私の関心があるところなのです。
だからその数字を見た時も、あれ、いつのまにこんなに増えたんだろう?と思いました。
5年前は、2軒目となるマイホームを購入して、前のおうちを売却したりしたので、ローンの関係でそのときのお給料はたまたま覚えているのです。
いまのお家を建てる時も、ローンの関係で銀行とやりとりしたのでなんとなく覚えていたのです。
だから今回、5年間で2倍になってることに気づきました。
ちなみに、結婚した頃、つまり16年前ですが、その時から考えると6倍強になっています。
16年前の数字も、結婚して家計のことを考え始めたので、数字を覚えているんですね。
今回、ちょっと興味が湧いたので、税理士さんからもらっていた数年前の資料を改めて開いてみたら、2年前は去年よりさらに多くもらっていることもあって改めて驚きましたが、それにしても、こんなにお給料の数字に関心のない奥さんも珍しいかなと思って、自分でも少し、おかしくなりましたにっこり
考えてみれば、子どもの成績についても同じで、わたしはあまり結果や数字自体にはあれこれ言いません。
それより普段子どもが、どんな状態でどんな意識でやれているかということと、そこに向けて私ができることはなにかってことにより多くの関心が向いているからで、だから普段、勉強しなさいということは言いませんが、どちらの子どもも成績は良いです。




主人と子どもにしてるこの行動ってなにかな、と考えてみたので、久しぶりに長いブログになりそうですが、まとめてみようと思うので、興味のある方は読み進めてみてくださいね。




この行動というのは、
自分が受験するときに、周りの反応って良いものも悪いものも、本人にとってはノイズでしかないな、ノイズがあるとなんか疲れるし集中しにくいな、と思ったので、その経験を踏まえて、自分の家族にはなるべく余分なものが行かないように、ニュートラルでいられるようにと心がけているのです。
逆に言うとこの人のモチベーションに作用するノイズ、究極に減らしていったらどんなことが起きるのか?興味があったとも言えます。
仮説としては、ノイズ🟰障害 がないので、ぐんぐん伸びる、ってことなんですが、この仮説は正しかったと言えると思います。
もちろん、なかなかそんなに綺麗ことだけでは事が進まないこともありますが、どんなときも一番大切なことは、それぞれの心や人生なので、そこを一番大切にするためにできることはなにか、という基本の軸は決してぶれないように気を遣ってきました。




それで、さらに言うと、
これというのは、やっていて実はとてもよく似ているって感じるものがあるんです。
似てるというか、ほぼ一緒です。
全然違う分野なので、本当に不思議なんですが、、、





それは実は、植物を育てること🪴
なんです。
植物を大きくする時に、植物そのものに、直接なにか大きな働きかけはしません。
植物がその性質を一番活かせる環境を整えるだけです。
あとは勝手に植物本人が大きくなります。
私がやっていることは、これの人間バージョンだなとよく思います。
与えるというより、余分なものを取り除いて、ちょっと整えるって感じなんです。
すっごく綺麗に仕立てる必要もなくて。
どうなりたいか、どう伸びていきたいか、決めて、実行するのは、植物本人なので。




それから整えるってこと以外に、
人間の場合はこれが大事なんじゃないかなってことがあって、それが、
自分の心の中の状態を整えておく
ってことなんです。




どういうことか説明しますね。
主人の働いている環境はとても厳しくて、定年までいる人はいません。
だから、いつ何があってもいいように、と考えて、資産となる家を建てたり、子どもの教育についてはいつ、どうなっても子どもが奨学金などを利用して必要な教育を受け自分の才能を伸ばすことをストップしなくていいようにと考えて、小さい頃からその子の強みとなるところはどこかな、と考えて投資をしてきました。
だから、教育もその子の将来に対する投資と考えているので、教育費の金額としては自分たちの収入から考えると多めじゃないかな、というときも必要だなと思ったら支払ってきました。
その代わり、何かあった時には、同じようには払ってあげられないかもしれないよ、ということも息子には話してきました。
娘はまだ小さいので話していませんが、中学に上がる時までには話すと思います。
そうやって、何かあったらどうしよう、ではなくて、じゃあなにかあっても対応できるようにするには、いま何が必要かな、と考えてやってきました。
そうやって考えてやっていると、不安に心が奪われて揺れることなく、いま自分がやるべきことにエネルギーをしっかり使えます。
そうすると、余分な手出しをしなくて済みます。
植物だって、お水も肥料も太陽も、本来は良いものだったとしても、余分になれば腐って弱ってしまいます。
そうやって心を整えておくことで、余分なノイズが行かないようにすることができます。



また、自分の心の状態ということではもうひとつ、
自分の生育歴を整理しておくことも大切です。



これもちょっと説明しますね。
親という生き物で、本当に本当に、心の底の本心から自信満々で子育てしてる、とまっすぐ言える人はいないと思います。
少なくとも、私は会ったことがありません。
それは自分が生きてくるなかで傷ついたことだったり、悲しかったことを、どうしても目の前の自分の子どもに投影して見ているからで、子どもが自分のような悲しい辛い思いをしたらどうしよう、っていつも心のどこかで多かれ少なかれ心配している気がします。
だけど、それも子どもにとってはノイズなので、私は定期的に、臨床心理士(国家資格有りで経験を積まれている方。個人的な意見ですが、心のことを体系的に学んでいない自称カウンセラーの方々の中には、サービスの品質が担保しにくい方もいらっしゃるのでおすすめしません)に話をすることで頭の中を整理していて、いまも、新たな分野の心の勉強を始めたところです。
日記も、何年も毎日つけています。
でもそれでもどうしてもなくならないものについては、ママにはこういう傷があるから、こういうときにはどうしても大きく反応をしちゃうんだってことを、子どもに説明しておくように心がけています。




そういう感じで、
主人や子どもに、余分なノイズがいかないようにして、
反対に必要だなと思うことについては、できるだけのことをしてきました。




それは何かって言うと、
健康のことだったり、
睡眠のことだったり、
日々の食事だったり、
心や人生を豊かにすることだったり、
自分の心を自分で育てていくことだったり、
家族というチームを作っていくことだったりします。





なんだか長くなりましたねニコニコ
フォントの編集とかしちゃったし😛
読みにくいかな?と思うので、今回は記事を分けてみようと思います。




こちらは近くのお蕎麦屋さんの入り口。

梅が綺麗ですおねがい