国家資格キャリアコンサルタントで強みの専門家
ボディワーカー、心理セラピストの3つの顔で活動しています、
皆川公美子です。
テレビの番組で、イタリアの画家ジョルジュ・デ・キリコのことをやっていて、
ものすごく心を揺さぶられたので、書きます。
彼の人生について、書きますね。
*絵画はホンモノを目で見るときに、はじめて伝わるオーラ、色、エネルギーを持ちます。
こちらのブログに載せる絵画は「この地上にそういう絵画が現存している」ということのひとつの
ご案内ですので、どうぞ画家が描いたホンモノをご覧になってくださいね。
まず、ジョルジュ・デ・キリコって?
1888年7月10日 - 1978年11月20日は、イタリアの画家、彫刻家。形而上絵画派を興し、後のシュルレアリスム(ダリとか)に大きな影響を与えた。
ギリシャ生まれの彼は
若い頃から絵の才能を発揮しました。
多分幼いころにそれを見た、またはキャッチしたことのある人は
いらっしゃるのではないでしょうか?
私も小学校か中学のときに、見たことがあります。
時間が止まっていて、
空気がやたら実体のない感じ。
人気がなくて、温度があるのかないのかわからない。
明らかに異次元ですが、
多分この世と同時に存在しているパラレルワールドなのではないかと思います。
(パラレルワールドは無限数存在していると言われています)
で、キリコはそういう、目に見えないものをキャッチして生きていた、
五感を越えた異様な絵を描いていた。
という仮定のもとに、
この記事をはじめますね。
キリコは23歳でトリノに移り住みます。
キリコはこのような自分の絵画を
「形而上的絵画」と名付けます。
ニーチェやショーペンハウアーという哲学者たちと交わり、
ダリから憧れのまなざしで尊敬されていました。
シュルレアリスム=現実をこえ、人間の無意識の部分を
表現する、ことに没頭したのです。
![{14D15E76-2C1F-4545-9FBD-6FF00B173FF9:01}](https://stat.ameba.jp/user_images/20141201/14/kumikokkkn/a7/dd/j/o0480064013146015667.jpg?caw=800)
カルロ・カッラ「メタル・フィジカル・ミューズ」 1917年
そのころキリコのことを中傷した一人、↑カルロ・カッラは
自分こそシュルレアリストで、キリコは二番煎じだと決めつけました。
(カッラの絵には、明らかに時間が流れています。
キリコの絵に憧れ、嫉妬し、模倣をしたのでしょうが、、、
なぜか異様な感じを受けません。
キリコの時間のない異次元の絵とは根本的に違うのに、
当時の人はわからなかったのだろうか???)
キリコの絵に憧れ、嫉妬し、模倣をしたのでしょうが、、、
なぜか異様な感じを受けません。
キリコの時間のない異次元の絵とは根本的に違うのに、
当時の人はわからなかったのだろうか???)
誹謗中傷を受け、立ち止まったキリコは
古典へ立ち返ることにしました。
絵の具の研究からはじめて、
筆遣いや描き方すべてをやりなおし、したのです。
それが、30歳すぎでした。
静物画を描くことで、目の前の現実と向き合おうとしたキリコ。
「目のまえの現実」を描こうとしたのかもしれません。
感覚でキャッチしたもの、よりも
現実のこの世界で生きる、
ということに一生懸命フォーカスしたのだと思います。
「偉大な画家とは何かを知った。
私は描かれたイメージしか見ていなかった。」
by キリコ
古典へ立ち返ることにしました。
絵の具の研究からはじめて、
筆遣いや描き方すべてをやりなおし、したのです。
それが、30歳すぎでした。
静物画を描くことで、目の前の現実と向き合おうとしたキリコ。
「目のまえの現実」を描こうとしたのかもしれません。
感覚でキャッチしたもの、よりも
現実のこの世界で生きる、
ということに一生懸命フォーカスしたのだと思います。
「偉大な画家とは何かを知った。
私は描かれたイメージしか見ていなかった。」
by キリコ
↑作風が同じ画家のものとは思えませんね。↓
「キリコは昔のものの、煎じ直しを売りさばいている」と
またここで誹謗中傷を受けるのですが、
それはきっと、キリコを疲弊させたことでしょう。
![{7E73D90C-2F6D-47AD-8A36-E86E3B6DE5B6:01}](https://stat.ameba.jp/user_images/20141201/13/kumikokkkn/0c/9a/j/o0480048013145960646.jpg?caw=800)
キリコはそのころ十分に売れている画家でしたし、
他に描きたい題材もあったでしょうが、奥さんの説得もあり、
昔の形而上的絵画をまた描きました。
けれど、同じものを描いていても作品は無二のものであると
キリコは知っていたのでしょうか。
どのような気持ちで自分の絵画の複製をしていたのか、
本当のところは誰もわかりません。
彼は見えてしまう異次元をどうとらえていいか、
わからなかったのかもしれない。
今一緒にいる人と生命を謳歌することを
選びたかったのかもしれない。
けれど、そのまま若い頃のような「形而上的絵画」を
描き続けていたらどうだったのでしょうね。
キリコに大きな影響を受けた、
アメリカンポップアーティスト アンディ・ウォーホールは
彼の繰り返しを非常に良いものとして
受け入れました。
亡くなる3年前の作品です。
なんともいえず悲しそうな動物。
その動物は、地上の造形物で埋め尽くされています。
様々な過去と渡り合ってきた、現在の自分。
キリコは五感を越えた、何かのキャッチ能力を持っていたのではないだろうか。
それをイメージとしてとらえ、キャンバスの上に描いていた。
ピカソは彼を恐れたと言いますが、同じ芸術家には
キリコが見えないものからもイメージを引っ張ってくることには
脅威をかんじていたことでしょう。
けれど、見るからに繊細さんのキリコ。
自分がやっていることと、世の中の「常識」のずれを
なんとか埋めようと思っていたような気がします。
だから古典に回帰してみたり、
いろいろ作風を変えてみたり・・・・
晩年に、初期の作品の模倣をするころには
何かしら悟りの境地、に入っていたような気が
しないでもありません。
キリコは90歳で人生の幕を閉じました。
当時より、キリコの独自世界を「すんなりと」理解する人は増えていることと
思います。
2014年に書いた記事でしたが
2024年またキリコの大回顧展が開催されています。
わたしも行きたいと思います!
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2014年12月16日まで 東京・汐留のパナソニック・汐留ミュージアムで
「ジョルジュ・デ・キリコ」展を開催しています。 詳細はこちら