ここしばらく父親のホームに行っていない。
気がかりでならないが、どうにもしょうがない。

昨日あたりは、どうやら近くのお寺に散歩に行ったらしい。
この大きなお寺は、緑も豊富で、昔から信心深い人たちがやってくる場所だが、私も父親に会いにいった帰りによく立ち寄る。
お寺や神社があってくれて本当に良かったと、その度思う。
神さまも仏さまも、どういうものか、よくわからないのに、境内に入ると、ただただ気持ちがすううと落ち着く。
カタチのないものに優しく包まれるというか、自分が何者でもないことが納得できて、ココロがしんと穏やかになる。
これなら、早くあの世に行ってみたいものだと思うほどだ。

車椅子で職員さんに連れられ出かけた父親は、その後、良い気持ちでうとうと眠ってしまったそうだ。
この車椅子で出かけるというのに、一度同行したことがあるのだが、まあほんとにプロとはいいながら、何とタフなことと頭が下がった。
介助していない私のほうが、横でくたくたになってしまうナサケナサ。
仕事とはいえ、なんと有難いこととアタマが下がった。

今朝あたりは朝ドラで、「老人性痴呆」が出てきた。
介護保険制度のない頃の、家庭での老人介護を思い、痴呆が認知症と名前を変えた今でも、大変なことなの
にどれだけ地獄のような有様があったことかと思う。
それでもその頃の寿命は、まだまだ短かったろうから、ドラマの老女は、せいぜい70代なのかもしれない。
そういえば私の祖母も70歳手前で亡くなっている。

母親たち兄弟姉妹は、だから70歳を超えることが目標になっていたようだが、そのうち半分はもうすでにこの世にいない。
長女の母親が、こんなに長生きしちゃってといいつつ元気でいる。

さて、その母の、今日は訪問診療。
そろそろ出かけるか。
雨が降らないといいのだが。