一昨日と昨日と大阪キャンペーンにうかがった。
お昼前の新幹線は満員。
その前々日の事故では、いったいどれだけの人が、この暑さの中大変な思いをしたかと思う。
もちろん、それを補修されるJRの方々も、炎天下での作業、想像しただけで卒倒しそうになる。
この暑さでは、何だって起きるよなあとがっくりする。

二日間、紙媒体の取材やラジオ局にうかがい、たくさんおしゃべりをする。
申し訳なかったのが、スポーツ紙の記者さんの質問、パリオリンピックでは何か楽しみなスポーツがありますかの問いに「まったくありません」。
スポーツに興味がないのはしょうがないこととはいえ、スポーツ紙のかたに、もうちょっとナニカシラの答えはあっても良かったのではないか。
後悔先に立たず、と帰りの新幹線で思った。

大阪は天神さまのお祭りの真っ最中で、花火も上がるという。
道路が混雑しそうだと心配しながら最後の仕事が、ミッツ・マングローブさんのラジオ。
毎週、大阪での3時間のラジオ番組のために通っているという。
博識なミッツさんは、音楽でもさすが。
徳光家は、みんな音楽の造詣が深いのだなあ。

今回、驚いたのが自分の体感温度。
暑いのに、暑くない。
すぐ寒くなる。

そういえば、今年、エアコンをつけて寝ていない。
扇風機だけでじゅうぶん。
今日も、温度計では34度湿度70%を指しているのに、何ともない。
自分がカエルか爬虫類にでもなったような気持ち。

こんな具合だから、同行するスタッフの方々には迷惑をかけた。
皆さん、若く体温も高く、暑がりなのに、こんな私に突き合わねばならない。
すっかり汗をかかせてしまった。

なんかどうも今までと違う。
一体どうなってしまったのか、わからない。
これを単に老化と言ってしまっていいのか。

やっぱりナニカシラが変化しているのだろう。
それが何か、だんだんにわかってくるのだろう。
カラダの中に、知らないもう一人の自分が住み始めたようで、ちょっと困惑している。


そうそう。
一昨日のブログで父の誕生日のことを書き、皆さまからお祝いのメッセージをたくさんいただきました。
本当にありがとうございました。
夕方。母親のシャワータイム。
アタマを洗い、顔も洗う。
耳を左手で閉じ右手でシャワーをかける。

「赤ちゃんの時と同じだね」と、母が言う。
そうだ、耳をぐちゃりと閉じられて赤ちゃんは湯にはいる。
おんなじことを、今されてるんだね、とまた母が言う。

耳ぐちゃりは、なんとなく覚えている。
どこかカラダの奥にその記憶が残っている。
ニンゲンには、そんな不思議があるのだなあ。

子を育てたことのない私は、代わりに母親の耳ぐちゃりをする。
お湯が入らぬよう、アタマを洗い顔をきれいに洗う。

父親が、また熱を出したという。
解熱剤ですぐに下がったというが、少しずつ少しずつ弱る、その先の覚悟を持つようになっている。
でも、そんなことを思うと、自分のカラダの奥の奥の方が痛む。
奥の奥のほうがねじられたように痛む。


あ、今日は父の誕生日。
96歳。よくがんばりました。
ここ数日の暑さで、今朝あたりは、カラダがどうにも動かない。
なるべく家にいてください、などとテレビでは言っているが、そんなこと出来るわけがない。

不要不急は出かけない、というのはコロナ禍の決まり文句だった。
あの頃の夏は、マスク着用が義務のようでもあったので、熱中症で死ぬかコロナで死ぬかなんていう究極の二択感もあった。
(とはいえ、この夏もコロナは増えている。まったく、なんてやつだ)

で。そのマスクのことだが。
家では粉石鹸を使うようになって、袋を開け専用スプーンで粉量を量るのだが、その粉の細かいこと。
初めの頃、そのまま取り出していたら、むせた。
静かに気をつけて量っていてもむせる。
袋の注意書きを読むと、そんなこともあるので、マスクなどつけてほしいとのこと。
それからはあわててマスクを用意した。

決してたくさん使うわけでもない、より静かに粉が飛び散らぬよう気をつけて、マスクをして洗濯機に入れる。
ところが、やっぱりむせるのだ。
マスクなしに比べれば楽だが、それでも喉の奥から一回くらいコンと咳が出る。

その時思った。
マスクって、この程度のものなのだなあ。
粉石鹸を通してしまうものなのだなあ。
こんなに注意しても、どこからも入らないよう装着していてもダメなんだなあ。

じゃあ、ウィルスは。
がっくりとした。
まあ、そういうことなんだろうと思った。

がっくりきて、それでも、病院や人混みではマスクをつけることは続けている。
でも、でも、もう知ってしまった。
マスクは粉石鹸をいとも簡単に通してしまうものなのだった。

先だって、父が入院する時、とても具合が悪く、コロナでもインフルでもないとわかっていても、そこが病院であるため、いやがる父にマスクをつけさせた。
苦しいので取ろうとするのを押さえマスクをつけさせる。
その様子に、私は我を忘れ怒ってしまった。
このマスクはいったい誰のためのものなのか。
父が移されることはあっても、移す病気はない、ならば、こんなに苦しんでいる父にとってマスクは何のためにあるのだ。

でもここは病院なので、規則ですから。という一点張り。
その時の無力感を思い出した。

マスク、私は今もつけている。
スーパーでも、病院でも、人混みでも。
でも、粉石鹸のことがあってから、実は信用などしていないのだ。