ううう、うううとサイレンが鳴る。
また、救急車だ。
この暑さで、一気に増えた。

せっかく綺麗に咲いた紫陽花が、なんだか場違いな感じで気の毒だ。
若い頃は、この紫陽花が嫌いで、この花が咲きだすと憂鬱になった。
また梅雨か、その次には夏で、その次は秋でと、季節の移ろいがただただダルく、心が重くなった。

今、歳のせいか、何でもオッケーな感じになった。
見渡すもの見渡せるものが、だんだんくっきりとわかってきたせいか、これこそが限りある身の自由のような気持ちになった。

子供の頃にも若い頃にも、戻りたくないと思うのは、このせいだろう。
重たい夢との闘いは、もういい。

日々、もっと歳を重ねた老人といると、人生の視野はさらに広くなる。
人が生きて死ぬことの全貌が少しずつ見えてきて、そうかこういうことかと思う。
そして、だんだんにこちらの力が抜けていく。
こうでなければ、とか、こうでありたいとかが、どうでもいいことに変わっていく。

どうでも良くないことは一つ。
このグダグダした尊い人生を他人が消すな、ということだけ。
国の正義を振りかざす戦争ジジイどもには、さっさと消えていただきたい。
人生に失礼だ。

あ、荒ぶってしまった。
来月1日のコンサートのリハーサルに行く。
ゲストの井上芳雄さんも来てくださって、その歌声を近くで聴くことができた。
今回、リクエストを一曲お願いした。
以前ご一緒した舞台「届かなかったラブレター」の中で作られた歌。
覚和歌子さんと三木たかしさんの作品で、当時のアレンジのままが、どうしても聴きたかった、それほどに素晴らしい歌。
青年そのままだった芳雄さんが、今、歌うこの歌の切なさに涙してしまう。

時は流れても歌は残る。
そんなことを体感しながら、リハーサルを続ける。
今回のコンサートはクラシックホールでのものなので、演出とか照明とかに凝るものではなく、弦楽四重奏を加えた演奏陣の素晴らしさも含め、音楽そのものを楽しんでいただきたいと思う。

音の中に浮遊する歌、そんな幸せに、途中何回か胸が熱くなった。
この世にたまたま生まれ、音楽という流れの中で生き、やがて自分も消えていく。
そんな流れのようなものを感じながら、ああ、やっぱり幸せ者だったなあと思う。

この先も、ただ自分らしい歌を歌っていけばいいのだと改めて思う。
誰かと比較することもない、誰かと競うこともない、誰かをうらやむこともない、ただ私の歌を歌うこと。
その時に歌が私自身を励ましてくれたり、慰めてくれたり、生きるチカラを与えてくれれば、それが最高の幸せだ。

ここ数日の蒸し暑さで、頬にアセモができた。
日焼け止めをべったり塗るのも良くないのだろうが、どうにも過酷すぎる夏。
何とか生き抜かねば。
早くもぜいぜいしている。
がんばろ。
東海道新幹線のトイレが変わった。
女性専用トイレができていた。

ビジネスの人が多かったせいか、これまで、男女共用のもの二つと、男性用一つ。
女性ならすぐにお分かりいただけるだろうが、この男女共用、どうも気持ちが良くない。
時に、床が濡れていることもあり、益々良くない。

何でこうなんだろうとは思ってはいたが、やっと共用二つの一つが女性専用になった。
当たり前だろがと思うが、こういうこと一つでも、変わるまでにこんなに時間がかかる。

北に向かう新幹線には、車椅子でも使えるトイレがある。
これがけっこうな大きさで、他のトイレの数が少なくなる。
あちら立てればこちらが、ということなのだろう。
なかなか難しい。

男性も立って用を済ませる、と聞いて驚いたのは随分前のこと。
うちの夫は絶対座らせる(トイレ掃除をする身にもなってよ)と、友人がキッパリ言ったのに驚いたが、今ではどうやら当たり前のことになっているらしい。
うちの父親などには、あり得なかったこの習慣だが、今では介護スタッフが優しく便器に座らせてくれる。
カラダを支える足も腰も、もう父にはない。

そういえば、長生きした祖父は、晩年トイレに行くのが相当に大変だったらしい。
幸い、家族が多かったから何とかこなせたのだろうが、昔のトイレで94歳まで生きた祖父を介護する家族がどれだけ苦労したかは、自分が介護世代にならないと実感できないことだった。
(その頃には、まだ今のようなオムツもなかったし)

一生ついて回るトイレ。
なんにしても足腰、強くしとかなきゃなあ。