小さい頃、埼玉の川口という街にいて、そこで「もんじゃ」と出会った。
駄菓子屋の一角に鉄板が置いてあって、その周りに子供たちが集まり、小さいヘラ片手に、お茶碗に注がれたもんじゃを焼いて食べる。
五円で具もない小麦粉を溶かした汁だけ、十円でそこにちょっと具が入る、それがイカだったか鰹節だったか思い出せないが、五円でも十分楽しめた。

何が楽しいといって、全部自分だけで作ること。
もんじゃの楽しみは「おせんべ」と名付けられたお焦げ部分にある。
鉄板に広げられた小麦粉汁を、いかにうまくおせんべにしていくか、そして、その渾身の一枚を頬張る時の嬉しさ。
幼少期のこの経験は、生涯にわたって続く宝物の記憶だ。

なので大人になっても、もんじゃという看板を見ると、胸が熱くなるし引き寄せられる。
でも、もんじゃはなかなか認知されない。
お好み焼きは全国区だが、もんじゃは関東限定、いや、元々が東京の下町育ちで、それが荒川を越えて隣りの埼玉などに移っていったという歴史。

いくらもんじゃの素晴らしさを言い尽くしても、ほとんど理解されない。
あんなのGEROじゃん、と言われてしまい、まあ、確かに似ているので反論もできない。

で。昨日、そんな私に付き合ってくれる後輩と、もんじゃを食しに行った。
一杯1800円で、海鮮とか明太子とかがトッピングされている。
そして、店員さんが焼いてくれるのだった。
キャベツを土手にしてタネを流し込むという、簡単さだが、どうも居心地が悪い。
シコシコとおせんべを作る記憶にとらわれている身には、どうもなんだか場違いな気がする。

誤解を恐れず言うなら、もんじゃは貧者の食い物なのだ。
小麦粉汁と出汁だけで作る、でも、その作る過程を楽しめる極上の食べ物。
最後にどれだけ立派なおせんべを食べられるか、そのことに全力で挑み楽しむ食べ物。
その時の子供たちは、江戸の子供と同じだった。

父さんの会社が倒産するかも、などという時代に懸命に生きていた庶民の子供の食べ物は、だからこそ私の胸の中で、今でも光り輝いている。

でもまあ、理解されないんだなあ、これが。
そんなの、当たり前のことなんだけど。
ああ、立派じゃない昔のもんじゃ、もう一回食べたいなあ。
おせんべ、作りたいなあ。
大宮にある大きなお寺、東光寺さんでコンサート。
ここには、これまで数回うかがっているが、昨日は地元のお祭りとも重なり、お寺でもさまざまな催し物をされていた。

それが広く周知されたこともあってか、このコンサートを知った高校の同級生たちも、みんなで来てくれて、広いお堂は、これまで見たことのないほどのお客さまでいっぱい。
入りきれないお客さまのためにモニターテレビも設置されるなど、嬉しいコンサートになった。

薬師如来を背に歌うのは何回目のことか。
こちらのご住職とも、もう長いお付き合い。
そういえばと、これまでうかがった各地のお寺や、なぜか永平寺でご住職にお会いできたことなども、そうだった、すべて繋がったご縁だったのだと気づく。
すべてすべてありがたいことだ。

来てくださったお客さまは、お一人お一人がその人生の道を長いこと歩かれ、その道の途中で、楽しいことも苦しいことも途方に暮れることも、全て経験されてこられた。
そのことの意味を、今頃、やっとわかって来た気がする。
失うことが増えてこそ、気づくことは多い。

なので、今は、お客さまを前にするとなんだか嬉しい。
緊張というよりは、安堵に近い。
みなさん、よくここまで生きてこられました、私は歌い手で歌を歌いますので、感情の旅をご一緒しましょう、とでもいった気持ち。
一つの歌の中に、それぞれの来し方が映りこめればいい。
そこで、いろんなことを思い出したり、いろんな思いを見つけたり。
最後に、ああ、やっぱり生きていて良かった、自分が自分で良かったと思ってもらえることが、歌の役割かもしれないと思う。

どんどん歌い手としての自分が消えて行くような感じがすることがあって、もしかすると、これが歌い手の到達点かもしれないとも薄々思う。

久しぶりに「生まれてきてくれてありがとう」を歌った。
そこにおられるどなたにも、今ここにあるという「奇跡」を歌う。 
同じ地球上で生き合う奇跡。

後ろの方で小さい手が振られている。
ちっちゃい男のお子さんだ。
生まれてきてくれてありがとう。

そうだった、この歌の作詞をされた湯川れい子さんからのご縁で、今ここに立っているのだ。
背後におられるお薬師さまが、今頃気づかれましたかと、薄く笑っておいでのようだ。

アンコールは、このところ「上を向いて歩こう」。
永さんとのご縁にも思いを馳せ、こうして様々な方に助けられ、歌っていることを思う。
みんな、ご縁の数珠繋がりのよう。
人生はだから面白い。
「ミュージックステーション」のような若者の音楽番組を、何かの拍子に見ると、いつもああ、とかふうんとか、いろんなことを思う。
昨日も何組か見た、いや、聴いたが、よくあんなに大量の言葉の羅列に、あんな難しい踊りをセットにしてできるものだと感心する。
私など、先月、タブレット純さんと一緒に歌った「林檎殺人」ですら、夜の回では、ほとんど覚えていなかった。
「クミコさん、もう投げてましたね」とタブレットさんに笑われたくらいだ。

その踊りは、上手い人とそうでない人が、いる。
上手いとか下手とかじゃなく、踊りのセンスとかいうものが、ある人とない人の違いなのだと思う。
なのでいくら頑張ってもセンスのある人の踊りに、ない人は近づけない。
どう違うのかといわれれば、見る人の目がどうしても惹きつけられてしまうかどうか、というしかない。
(キレがあるのに、それだけじゃない、一つから一つへ移る動作に、どこまで遊びというか余裕がみえるか、それが色気につながっていく。奥が深い)

そういう歌の場合、歌詞なんてもはや何でもいい。
ハンジモノのような言葉たちが、現れては消えて行く。
意味があるのかどうかさえわからないし、意味など無意味なのかもしれない。

これ、覚えるの大変だなあと、歌い手は思う。
反射神経がなくなった年代には、もはや不可能。
意味があってこそ言葉と言葉を繋げ、覚えることができる。
もうそういうのさえ、ないんだろうなあ。

そういう摩訶不思議な歌の中、老舗の沖縄のバンドが出ていて、意味満載。
言葉の置き方が独特で、生き方と音楽が沿っている。
こういうのが当たり前の時代に育った人間は、やっぱりいいなあと思う。

踊りも、音楽も、若い時がピークになるものは、やっている当人たちも大変だと思う。
時に急かされて生きねばならない。

踊りも、たとえばバレエなどは、跳躍はともかく、足や手の表現一つに、それまでの時間を写し込むことができる。
長い時間を、足や手や背中と同じ、時間と語り合いながら自分の踊りを見つけて行く楽しみがあるだろう。
それは歌とて同じで、若い時にはどうやっても出せなかった心情が、歳月の中で熟成され、日々の歌として歌うことができる。
老いもアップデートなのだ。

それにしても司会のタモリさんはすごい。
スタンスが変わらない。
媚びることも横柄もなく、ただそこで面白がる。
こういう人、そうそういない。
本当にそういう人なのか、裏側ではいろんなこと思ってるのか、それさえ見えない、見せない。
タモリさんは、タモリさん一代の芸を、楽しんでいるのだなあ。
タモリさんのアップデートは、より深い。