トイレに入ったら水が出ない。
あわわ。
そうだった、今日はポンプのナニカシラの装置交換で断水とのお知らせが貼ってあったぞ。
各戸にも配られていた紙を探す。
9時から12時まで、とある。
でも、作業が早く終わり次第復旧しますとも。

これまで断水のお知らせがあっても、何も困らなかったのは、この早い復旧のおかげだったのだ。
夏場は動き出すのも早く、今日はドンピシャで断水にぶつかってしまった。

水が出ない。
このことを、こういう時に体験してしまった。
地震があったら、ひとたまりもないことも実感できた。
やはり風呂場に水をはっておくべきだとか、でも、親の家だったらどうしようとか。
やはり平屋ではない建物は、さまざまに問題があるなあとか、一階の風呂場から水を汲んで二階の母親のトイレに毎日運ぶなんて、できることだろうかとか、いや、地震ならもうすでにトイレ自体使えないだろうとか。
さまざまなことがアタマに浮かぶ。
浮かんでは、その想像だけですっかり疲れてくる。
ああ、もうあかんわ。

そう思っていると。
ずずずずとトイレのタンクに水が流れ込む音が。
一時間で復旧したのだ。
ああ、良かった。
喉元過ぎればの例えどおり、さっきまでの心配がササと脇に置かれる。

そうはいっても、これまでと違う局面に入っているような感じはする。
備蓄などの用意を、多くの人が心がけるようになっている。
どうも一人取り残されているような。
焦燥感と終末感がいっしょくたになる。

能登では、あの時のままビニールハウスで暮らす被災者もおられる。
大変な生活ではあるが、土のある場所の強みを思う。
土地さえあれば、なんとか生きられるという強さ。
土と離れてしまった都会のニンゲンの弱さを、ヒシヒシと思う朝になった。