パリオリンピックの開会式が話題になっている。
マリー・アントワネットの首とか、髭の生えた人の女装とか、最後の晩餐の場面とか、まあ、よくぞここまでと、感心する。
どれも、ショーやレビューの舞台もののようなので、見慣れている人には違和感は少ないかもしれないが、オリンピックの場で全政界的に流れるものとしては、ものすごく攻めた演出だった。
そして、いいんだこれがフランスだとばかりのプライドが見え隠れするので、いつも他への気遣いばかりの国の人は、目が点になってしまうのだろう。
パリは花の都と言われているが、こんなに綺麗になったのは、パリ大改造のあと。
もともと、窓から汚物を投げ捨てるのが習慣だったパリは、相当に汚い街だったという。
石畳に、汚水や汚物が油にまみれ流れていく状況は、その頃の小説など読んでいても、背中がモゾモゾする。
そして、それは人間関係、男女関係にもいえることで、日本人の倫理観では測りきれないものがある。
私がたった二日滞在したパリでも、案内してくれた女性のボーイフレンドは、最後にハグしながら、これからマルセイユの恋人の所から帰ってくる妻を迎えに行くと屈託ない笑顔で去っていった。
食べ物にも、恋愛にも、並外れた執着を持ち、それがすべてのエネルギーの素にもなっていく人たち。
そうなんだな、全然違うんだなと、シャンソンに関わっていても、その違いが壁のように行き当たる。
以前見たドラマ、マリー・アントワネットの裁判模様で、見にきていた女性の多くが、手元で編み物をしている場面があった。
これはどうやら本当のことのようで、せっせと毛糸を繰りながら裁判傍聴をし、ヤジを飛ばす場面は、こちらからすると妙ではあっても、あちらでは普通のことだったのだろう。
食物も恋愛も革命も、みんな一直線の「生活」として並ぶ国。
「愛の讃歌」の詞も、原詞は過激だ。
あなたのためなら人も殺す、盗みもするなど、拳を振り上げる女性がそこにいる。
どんな運命にも立ち向かう強さには心打たれるが、この歌詞だったら日本でこれほど愛される歌にはならなかったろうとは思う。
エロとグロと革命と。
そんな中から生まれた歌の、そのエッセンスを、日本のシャンソンではすくいとる。
日本人にあった味わいにして、そこにある真実を歌う。
フランスで生まれたのに、時にモノの哀れなどが浮かび上がってくる。
そこいらが面白い。
マリー・アントワネットの首とか、髭の生えた人の女装とか、最後の晩餐の場面とか、まあ、よくぞここまでと、感心する。
どれも、ショーやレビューの舞台もののようなので、見慣れている人には違和感は少ないかもしれないが、オリンピックの場で全政界的に流れるものとしては、ものすごく攻めた演出だった。
そして、いいんだこれがフランスだとばかりのプライドが見え隠れするので、いつも他への気遣いばかりの国の人は、目が点になってしまうのだろう。
パリは花の都と言われているが、こんなに綺麗になったのは、パリ大改造のあと。
もともと、窓から汚物を投げ捨てるのが習慣だったパリは、相当に汚い街だったという。
石畳に、汚水や汚物が油にまみれ流れていく状況は、その頃の小説など読んでいても、背中がモゾモゾする。
そして、それは人間関係、男女関係にもいえることで、日本人の倫理観では測りきれないものがある。
私がたった二日滞在したパリでも、案内してくれた女性のボーイフレンドは、最後にハグしながら、これからマルセイユの恋人の所から帰ってくる妻を迎えに行くと屈託ない笑顔で去っていった。
食べ物にも、恋愛にも、並外れた執着を持ち、それがすべてのエネルギーの素にもなっていく人たち。
そうなんだな、全然違うんだなと、シャンソンに関わっていても、その違いが壁のように行き当たる。
以前見たドラマ、マリー・アントワネットの裁判模様で、見にきていた女性の多くが、手元で編み物をしている場面があった。
これはどうやら本当のことのようで、せっせと毛糸を繰りながら裁判傍聴をし、ヤジを飛ばす場面は、こちらからすると妙ではあっても、あちらでは普通のことだったのだろう。
食物も恋愛も革命も、みんな一直線の「生活」として並ぶ国。
「愛の讃歌」の詞も、原詞は過激だ。
あなたのためなら人も殺す、盗みもするなど、拳を振り上げる女性がそこにいる。
どんな運命にも立ち向かう強さには心打たれるが、この歌詞だったら日本でこれほど愛される歌にはならなかったろうとは思う。
エロとグロと革命と。
そんな中から生まれた歌の、そのエッセンスを、日本のシャンソンではすくいとる。
日本人にあった味わいにして、そこにある真実を歌う。
フランスで生まれたのに、時にモノの哀れなどが浮かび上がってくる。
そこいらが面白い。