「パリ祭」が終わった。
これまでNHKホール、オーチャードホール、そして、昨年から東京ドームシティホールと会場を変え、今回で62回。
コロナで中止以外、ずっと続いてきたシャンソンの祭典。

私は、2011年からの参加で、ちょうど石井好子さんが亡くなられた後から。
石井先生なしのパリ祭など、おそらく誰も考えることのできない、その後だった。

ちょうど東日本大震災のあとでもあり、石巻で被災した私の心を、救い取っていただいたような気持ちがした。
その時にはまだ永六輔さんもおられた。
あれからもう十三年。

今回は、オープニングからの登場。
「私のパリ祭」という歌を、大先輩の仲マサ子さんとご一緒する。
初めての歌だが、驚くほど記憶力が減退していることを痛感した。
短い歌詞だが、まあその覚えられないこと。
がっかりする。

それでも、何とか切り抜け、ソロの「愛の讃歌」も、皆さんとご一緒の「可愛いおちびさん」も、皆さんに助けられながら無事終了。

前日の父親のこともあり、その晩に歯ぎしりするような悔しさでうまく眠れなかったせいか、楽屋では珍しくカラダがふらついた。
めったにないことなので、もしかしてこのまま倒れ、半身不随などなってしまうのではないか、親より先にくたばってしまうのではないかと、背筋が冷たくなった。

思いもかけないことは、思いもかけない時にやってくる。
そんな不安にかられながら、でも、何とか無事に終わった。

こうして歌えていることは、本当に幸せなことなのだと思えた。
励ましてくれる人もいて、それらに助けられながら、ああ、誰もみな大変な経験や思いの中、生きているのだなあと、その励ましに感謝した。

一年先はわからない、いや、一日先もわからない。
明日が皆目わからない中、誰もが生きていくのだ。

今日も早起き。
これから横浜、夜の仕事までの間に父の病院に。
なだらかに穏やかに、心を平たくして、すべてをやり過ごそうと思っています。
まあ、なんとかなるさ。