ああそうだったと、その写真を見て思った。
イギリスのオックスフォード大学を訪れた両陛下の、雅子さまの赤いマントと黒いベレー帽(というのか)姿を見た時だ。

お一人で講堂のような所に立たれ、おそらく大学からの表彰式なのであろう写真がネットにあがったが。
そのお姿が、まさにこの方らしい姿なのだった。

雅子さまは雅子さんの時代、ご自分の好む姿をされていた。
髪型も服装も靴も。
どちらかといえばハッキリとした強い色合いの組み合わせで、時にハイヒールだったりぺったんこのフラットシューズだったり。
髪もナチュラルに分け目をつけたワンレン。
それらは、本当によく似合って、自分の個性を知る人の姿だった。

その方は、それから淡い色彩の人になった。
色だけでなく、フォルムも靴も無難。
髪もまとめあげる形。
これが皇室の人になるということなのだった。

心を病み、苦しまれていることは誰もが知っていた。
でも、その苦しみの大きさを、私たち(少なくとも私には)はわかっていなかった。
そのことを今回の一枚の写真が教えてくれた。

目の覚めるような鮮やかな赤いマントと、いかにもヨーロッパ風の黒い帽子を、まるでご自分のモノのように着こなされている姿。
そして一人すっくと立たれ、壇上の大学関係者を見つめる姿。
ああ、この人はこういう人だったのだ。
母とか妻とかいうより(この言い方は語弊があるかもしれないが)こうして一人で立っている人だったのだ。
自分の意見を持ち、自分で決めたように、自分の道を歩く人だったのだ。

どれだけの苦しみの海を、この方は泳いできたのだろう。
それでも、その一枚の写真は、それら全てを乗り越えて今ある一人の女性を写しとっていた。

それは神々しく、美しく、そして立派だった。
言葉を尽くすより、その一枚の写真がすべてを語っていた。

でも、でも。せめて英国の王室のように、好きな色くらい着ていただきたいと、下々の私などは思ってしまう。
赤いお召し物があってもいいじゃん、古色蒼然じゃないカッコいいお姿も拝見したいと、下々はまた余計なことを思うのだった。