歌い手で、よく自慢のようにされることの一つがキーだ。
デビュー当時と同じキーで、今も歌っていることが、良いことのように思われる。

でも、人は成長する。
老いることも、また成長のひとつの形でもある。
当然、声、つまり声帯も変化する。

昔と同じ高さが出ないことは、まったく悪いことではない。
低くなっていくことで、深みが増すことも多い。
キーを下げました、というのを何だか引け目のように感じる人もいるが、そんなことはない。

シャンソン界では、音楽学校出身の方も多く、もともとが美しいソプラノだったりすると、その辺りのご自身との「葛藤」があったりするようだ。
でも、同じ歌が、昔と今とで、違う顔になっていたり、そこにその人だけの人生の日々が見えたりすると、胸を打たれる。
歳とともに生きた歌の「完成形」のような感動を覚える。

私も、昔と同じものも、下げたものもあり、その比率は半々くらいか。
下げ幅も半音から一音なので、大した差ではないと思っても、これがやはり違う。
面白いもので、低くなると、どうしても影の部分が見えてくる。
明るい失恋の歌などは、急に悲しさが込み上げる。
それまで見えてこなかった哀れさが、炙り出しのように浮き出てくる。

キーひとつのことだが、本当に面白い。
声は高い方が良い、という漠然とした認識は、だから持たなくて良いと思う。
その歳その歳で、自分に合ったキーで歌う、自分の気持ちに沿った声の高さで歌う。
それでいい。

歌は友だち。
キーさえ合えば、楽しい。
もう、カラオケなんか行ってない、歌うことなんかないなどと言う人も、また歌と友だちになってほしいと思う。
それが鼻歌でも、もちろんいい。