母親の入浴手伝いをして、夕食。
こうして、母親と一緒の夕ご飯は、父親が家からいなくなってからだから、二年半になる。

まったく料理好きでもない私だが、そのくせ、なるべくカラダにいいものをという意識だけはある。
なので、味噌汁は丁寧に作る。
味噌汁くらいで、威張ることもないのだが、昆布出汁に野菜をふんだんに入れ、そこに油揚げやら豚肉やらを入れ、これ一つでも大丈夫感満載。

猫舌の母親などは、最後に味噌汁にたどり着くので、本当はいいかげんお腹いっぱいなはず。
それでも「ああ、美味しかった」と言ってくれる。

そんなことに励まされながら、時々くじけそうになりながら、母娘の夕食が続く。

先日、SNSのXで流れてきた動画。
おそらく南米あたりの、むくつけき息子が、ちっちゃいお母さんを水浴びさせている。
桶に入った水を座っているお母さんにかけ続ける映像が左。
そして右には、誰もいない椅子に向かって水そかける息子の映像が。

それを見て、涙が溢れて困った。
私が今していること、している最中のことは、この動画と同じことのようだ。
やがて、いなくなる人にむかって水、いや、お湯をかけ続けること。

いた人がいなくなることは悲しい。
やっぱり、悲しい。
どんなに大変なことか、早く自由になりたいと思っていても、空っぽは悲しい。
やっぱり、悲しい。

そんな動画を見たせいもあって、母親のカラダを入念に洗いお湯をかける。
汗をかくこれからは、忙しくなりそうだ。