母親が一人で父親のホームに行く。
送り迎えをホームの方がしてくださるので安心だ。
時々この母親一人訪問をしていたが、間にコロナやインフルエンザやお互いの体調不良など、さまざまあって、今年に入ってから今回で二度目。

初めはウキウキと行っていた母親だが、最近は、どうも様子が違う。
母親も老いが進み、何をどうしてもカラダが動きにくくなった。
ヨイショという感じで、娘に言われたから行かねばという感じ。

昨日も帰ってきた母親の手は冷たく、足元もおぼつかない。
「パパも、そうとうにボケちゃったわねえ」と言う。
昔はあんなじゃなかったのにねえ、と懐かしむ。

お昼ご飯を挟んでの三時間くらいだろうが、同じ質問を繰り返す父親といるのは、なかなか大変なことだろう。
三年前まで、同じ家でおしゃべりしていた良き時間は、もう永久に帰らないことがわかってはいても、寂しく身に染みるのだろう。

自分もボケないとホームには入れないわねえ、とも言う。
女性の入居者が圧倒的に多いホームだが、確かに「気が確か」だと耐えられないことは多いと思う。
逆に、ボケたほうが何事も都合がいい。

下の世話も入浴も、言葉は悪いが「正気」では耐え難いことばかり。
そんなことを思うと、父さんの所へ入ってあげたらなどと、軽々しく言えなくなってくる。

さあて、これからどうなるのか。
ふと自分の五年後を思い、冷たい風が背中に吹いた。
なんとか後少し、自分も元気でいられますよう。

いやいや、もうなるようになるのだ。
と、これまでと同じことを自身に言い聞かせる。
今年の夏も暑そうだ。