母親の入浴(といってもシャワーだけだが)を手伝っていて、最後になっても気を抜けないのがカラダの方向転換だ。

椅子に腰掛けたカラダを自力で立ってもらって、それから出口に向かうには反対側を向かねばならない。
まず、右を向いてと言い、バスタブの端っこをつかみ、それからじょじょに右にある手すりにつかまり、そしてようやくその手をつかんで風呂場から出る。

若い時には、まったくなんてことない方向転換が、老人には転倒との紙一重の危険を伴う。
そうかこういうことなんだなと、老いる順序を見ているような。

本人がショックを受けるのも、またこれで、庭先での方向転換に失敗し、仰向けにひっくり返ったことが、それからの動きに影響している。
より慎重に慎重に。
なので、当然歩みは遅く、下ばかり向くようになった。

後ろを向くことが、こんなに大変なことだったと、母親を見ているとよくわかる。
後ろを向くことも、椅子から立ち上がることも、階段を降りることも。
なんでもかんでも一大事だ。

来年、大地震が来るのではと、あちこちでささやかれている。
元日から地震が来てしまう国だもの、何があっても不思議はないが、果たしてこの老人を守り切れるだろうかと、ことあるごとに心配になる。

父親がホームにいてくれることだけでも、気持ちは楽になる。
母さんも、お世話になったら安心だよと言ってはみるが、なかなかどうして。

まあ、先のことはわからない。
なるようになると思ってみても、ざわざわする。

一世紀近くの長生きは、戦争も天災も経験する長さなのかもしれない。
おめでたいことには、どうも思えないのが困る。