10年ほど前にミュージカル的な舞台に出演した。
先だっての井上芳雄さんのコンサート演出もされていた小林香さんのお誘いで、ユダヤ人の医師の役だった。
香さんは、たくさんの文献を読み、そこからできた場面では、舞台上で凍りつき自分がまるで無用物のように思えることもしばしばだった。

その一つが靴を脱ぎ、それをカゴに入れ、ガス室に入っていくというシーン。
その時の無力感は、ただ流れる涙の感触とと共に忘れられない。

そのことを、昨日またありありと思い出した。
「関心領域」という映画。
アウシュビッツ収容所の所長ヘス。
その家族は、塀一つで隔てられた家に住んでいる。
花々が咲き乱れ、野菜も作り、家は美しい。
そこで家族は理想的ともいえる生活を送っている。

青い空や穏やかな川や鳥の声、その奥底に通音のような不愉快な響きが流れる。
ヘス一家は、誰一人その顔のアップもなく、これが映画であることを忘れそうになるくらい、淡々としたドキュメンタリーのように進んでいく。

収容所内は見せない。
見えるのは、塀の向こうからのぞく建物いくつかと、煙突。
その煙突は、二十四時間煙を吐く。

ただ淡々と日々は過ぎる。
塀の向こうとこちらで、日々は過ぎる。
だんだんにこの幸せな家族に、少しずつヒビのようなものが入っていく。
一人一人の心に、塀の向こうのものが忍び込んでくる。

映画では匂いがない。
人を焼く匂いはしない。
でも、この一家は、その匂いや、銃の音や人の叫び声やシェパード犬の声を聞き続ける。
そして、その隣で、栄養豊かな「灰」がまかれた美しい花や野菜に囲まれ、ヘスの妻の言う「理想的」生活が続けられる。

ココロを閉鎖すること。
関心を持たないこと。
あやうい天秤が見える。

あの人たちは自分たちと違うのよ、だからああなってもしょうがないのよ。
でも、同じ人間なのよね。
そんな天秤の揺らぎは、今この時代と同じ。
壁で隔てられたイスラエルとガザと同じ。

最後あたりで、現代のアウシュビッツ記念館が映る。
そこには、幾つもの山のような靴たち。
磨き上げられたガラスの向こう側で、靴たちは、それを履いていた人の記憶とともに生きる。

ああ、なあんかホントにイヤになっちゃったなあ。
ニンゲンて、なんなんだろう。
今だって同じことしてるんだもん。
そういいながら、同行した友人たちとビールを飲んだ。
ビールは、でも、やっぱり美味しかった。
(ちなみに、この映画の原題はTHE ZONE OF INTEREST)